オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

オヤジのあくび208

就職した頃の話 1979年4月私は横浜市の小学校教員となった。これには教育実習での経験が影響している。私は社会科専攻なので、中学校の実習は、母校で社会科を受け持った。同じ時期に同期のFさんが実習に来ており、彼は現在有名な予備校の講師をされているら…

オヤジのあくび207

とにかく落ち着きがない子でした2 三つ子の魂なんとかじゃないけど、64歳になった今も、まだ落ち着きがない。持って生まれた気質とでも言えばいいのか? 向き不向きがはっきりしていて、じっくり腰を据えて落ち着いて取り組む造形活動には向いていない。絵な…

オヤジのあくび206

とにかく落ち着きがない子でした 落ち着きがなく、小学校低学年の頃は先生の方より後ろを向いて話している時間の方が断然長かった。何の話をしていたか?と言えば、テレビの話でした。授業参観に来た父親は子どもの落ち着きのなさに呆れ返って帰宅してしまっ…

オヤジのあくび205

早見和真「6 シックス」を読む この短編集は東京六大学に対するステレオタイプに満ちた話で、またそれが前提になっている気がする。本当は6つの短編の登場人物は、実は東京六大学と関係なくても描けるのだが、それぞれの軌跡が交錯する点として、例えば早稲…

オヤジのあくび204

学校の先生というステレオタイプ ほとんどの人が、学校の先生と接したことがある。その出会いが幸であれ、不幸であれ、学校の先生って、こんな感じというイメージを多くの人が持っている。 何と世の中には、自分も将来学校の先生になりたいと思う子どもたち…

オヤジのあくび203

住み込みで学ぶ 居候論2 尊敬する先生の家に住み込みで学ぶという伝統が、書生とか徒弟制度として残っている業界はまだあるのだろうか? とにかく師匠のワザに近づく方法が理論とか理屈じゃなく、ひたすらそばにいて真似るしかない場合、それもあり! な気が…

オヤジのあくび202

人生、所詮現世に居候 いそうろうは、同居の身であり寝食を共にしている。何か役に立っているかと言えば、そんなこともなく、まぁ厄介者なのだ。 自分が世の中のど真ん中で頑張っているかのような錯覚に陥っている政治家はスルーして、大概の人は、この世に8…

オヤジのあくび201

こんな時代こんな世界を自分が経験することになるとは! 当たり前だけど、その時代その土地に生を受けたことで、経験することはかなり違う。同じ日本に生を受けても、私の親世代は戦争を経験しているし、私の子ども世代は、あのバブルの狂騒を知らない。 子…

オヤジのあくび200

温故知新。昭和の先生、最後の悪あがき5 60で辞めて、80過ぎまで、趣味三昧もいいけれど、仕事こそが生きがいだった場合は、やはりそれなりの喪失感は、あるだろう。働けるならば、無理のない範囲で働いた方がいい。私はそう思う。 私の場合ですが、そもそも…

オヤジのあくび199

温故知新。昭和の先生、最後の悪あがき4 もう一線を退くべき。そのような心の声は、絶えず響いている。すでに少々老体ではあるけれど、まだ少しでも役に立つのであれば、教育現場に関わり、微力ながら子どもの成長に関わりたいと言う我欲もある。 非常勤講師…

オヤジのあくび198

温故知新。昭和の先生、最後の悪あがき3 多様な子どもの育ち方への対応。 チョーク一本で勝負。昔はよくそんなプライドを持った先生がいらっしゃった。 生徒が45人、一斉に黒板の方を向いて、静かな教室で講義を受ける。私もその時代に学級担任をしていたけ…

オヤジのあくび197

温故知新。昭和の先生、最後の悪あがき2 なぜ、こんなに教員が忙しくなったのか? 本当は授業が終わったら、職員室に寄らずに帰ればいいのだ。実際、立場が非常勤講師だから、今はそうしている。 正規職員か臨時任用職員の場合は、年度が変わると、学校組織…

オヤジのあくび196

温故知新。昭和の先生、最後の悪あがき1 ぼくが大学に通っていたのは、1975年4月〜1979年3月。教育学部だったので、卒業と同時に教員免許をいただき、ありがたく現在まで使わせていただいています。もう卒業してから42年余り。 中国では、学校の先生のことを…