オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

リニューアルせよ、男声合唱 ②

 学校を出て、故福永陽一郎先生が湘南地区に自ら創設された男声合唱団に10年余りお世話になっていた。福永陽一郎先生と書くと、天国から「ぼくは、先生していません!」とお叱りを受けてしまいそうだが、およそ生涯にわたり「演奏」することにご自身の生き方を見出されていた方で「練習」のための音楽や「レッスン」なるものが、お好きではなかった。


 男声合唱を少しでもかじった人ならば、先生の名前は必ずや目にしているはずで、我が国の男声合唱のバイブルと言ってもよい「グリークラブアルバム」の編者である他、東京コラリアーズという日本最初のプロ合唱団の創設者でもあり、そもそも福永先生(そろそろ陽ちゃんと呼ばせてもらいますか?)のアレンジされたレパートリー抜きにしては、我が国の男声合唱団の演奏会は、没後およそ20年を経た現在でも未だにステージが組めないのである。それは、まさにもう一人の巨人「多田武彦」と双璧をなしていると言えるだろう。陽ちゃんの業績について語ろうとするならば、男声合唱との関わり以外に、本業?であるオペラ指揮者としての活動を避けては通れないのだが、陽ちゃんにせよ、多田武彦先生にせよ、それぞれがあまりに巨大な存在なので、いずれ当ブログで、改めてその足跡についてふれてみたい。


 さて、その陽ちゃんが生前、合唱団の技術についてよく話されていたことの中に、「楽器をまるっきり弾けない人がオーケストラの門をたたくことは、まずあり得ないが、合唱は、声楽に関してまるっきりトレーニングを受けていない人が大勢入ってくる。」という話がある。「歌というものは、どうやら腹式呼吸で歌うものらしい。」くらいの知識や「カラオケでは、物足りなくて・・」程度の向上心で入団できることは、我が国の合唱団の度量の広さと言うべきなのだろうか?


 たとえば、ゴルフをやってみようという人が、コースに出る前に「練習場」に通わないことがあるだろうか?答えは、否である。しかし、私は声楽家について個人レッスンに通うべきだということを強調しているのではない。自身の声の技術を振り返り、どのような方向に高めて行くべきなのか、個々がそれぞれ指針(チャート)を持つべきだと言うことを言いたい。


 例えば、音程という課題について、ただ指揮者から「下がる下がる」と言われ続けて煩悶しているのではなしに、正しい音程が取れる発声技術を身につけるためにどうすればいいのか?を考えたらよいと思うのだ。おおかたの合唱人は、今下がっているとか、ハーモニーが決まっていないとかを感じ取る耳を有している。(和声感については、平均律と純正調の違いが、なんとはなしに分かっている程度かもしれないが)しかし、ではどうすれば音程を下げずにフレーズを歌いきり、ハーモニーを創るかという件について、技術的に実に多くの合唱団が停滞している。


 では、どのような発声を目指せばいいのか?私自身、声楽家について個人レッスンを受けてきたのだが、この声楽家の諸先生がおっしゃることも実に一人ひとり違うので、またまた多くの人間が戸惑ってしまうのである。さながら各格闘技団体に必ず一人は世界チャンピオンがいるようなもので、どうも唯我独尊的な気風が、どことはなしに吹いている。


 この場では、概ね「これだけは間違いないだろう」という2点についてのみ話したい。


 一つは、声楽というものは、つまるところ人間の体を「管楽器」として使うということである。楽器である以上、当然音の元となる振動をどう共鳴させていくかという話になるのだが、基本は一つ。声帯で発生した振動を必ず共鳴させなければならないということである。この共鳴させる場所について、未だに百家争鳴の趣があるのだが、原則は「前へ前へ」に尽きると思う。やっかいな話として息の通り道である気管や喉、口腔、鼻腔は、元来がやわらかくできている為、時として楽器としての機能が損なわれてしまいやすい。とりわけブレス(息継ぎ)をしたときに、せっかくの楽器機能が解除されてしまい、息を吸う前と再び吐き始めた後で音色が変わってしまっていることがある。自分という楽器の維持。これがトレーニングが必要な所以であろう。ちなみに音程の移動や、母音の変化によって、著しく発声=音色が変わってしまうのも、厳に慎むべきで初歩的な技術であるが克服していかなければならない。詩の内容によって、明るさや暗さを表現するのは、まずその初歩的な技術を克服した後の話なのである。


 もう一つは、とりわけ男声合唱に目立つ課題について。「太く重い」発声に魅力を感じ、その発声のまま壮年高年を迎えても歌い続けている御仁が多いという現象についてである。「太く重い」発声は、正しければスクリャピンのように、万人を圧倒するすばらしい声と成りえるのだが、多くの場合、その響きは自分の体に張り付いているだけで、自分には、快く世紀の大歌手のように聞こえるのだが、数m離れて聞くと本人の近くだけが、鳴っているだけで、聴き手の方に向かって音がとんでこないことがすぐわかる。演奏会でもステージ上の演奏と聴き手の間に、何やら見えない幕のようなものが垂れていて音がストレートに伝わってこない演奏が何と多いことだろう。


 では、どうすればいいのか?逆を目指すのである。すなわち「細くて軽い」発声(頭声的発声と言い換えてもいい)が、壮年高年の諸氏が今後も男声合唱で歌い続けていくための道なのである。若い頃であれば、馬力もあったし、多少無理を重ねても何とか声が出たのであろうが、すでに馬力は衰え、自然で無理のない発声=「省エネ」発声法で、最小限の息圧で最大限の響きを創るように心がけなければならない。それこそが、男声合唱団が若々しさを維持していく唯一の道なのだ。