オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

勝手に選ぶ手塚治虫 音楽シーンベスト3

 本日2009年2月9日は、漫画界の巨匠手塚治虫が亡くなられてから没二十年にあたる日である。いつもの月曜日であれば、こたつに潜り込みながら「水戸黄門」を見て、涙している時間なのだが(五十を過ぎた中年男が勧善懲悪の時代劇に涙しているというのもおかしな話ではあるが・・それは置いておいて)、意を決して上のようなタイトルで何か書いてみようと思い立ってしまったのだ。


 我が書斎を見渡し、改めて思う。「何と漫画本の多いことか!」漫画は楽譜と双璧をなして、本棚のメインスタンドに陣取っている。だが悲しいかな。狭い部屋故に、新しい本を買う=何かしら放出しなければ収まらないわけで、大好きな漫画であっても例に漏れずここ数年の間に「沈黙の艦隊」や「美味しんぼ」「あぶさん」など一巻からずっと揃えていた漫画が姿を消していった。数々の名作が書斎を去っても、常にその座を明け渡すことがない本があった。言うまでもない。手塚治虫先生の本である。没二十年にちなみ、もう一度片端から手塚作品の魅力を語りたい欲望にも駆られるのだが、新しいブログのタイトルを「音楽エッセイ」としてしまったので、今日は手塚作品のうち、画面の中から音楽が響き渡ってくる名場面を勝手に選んでみたい。


 手塚治虫先生の作品は、音楽に例えるならば、長編はグランドオペラか交響楽。短編は室内楽曲の趣が伺える。手塚作品は、どのような場面を切り取ってみても、常に美しさを追究したものであり、没後間もなく原画を展示する美術展が大々的に開かれたのも、一幅の絵画として各場面が美術的に構成されているからであろう。そして、そこから聴こえてくるのは、クラシック音楽の豊穣な響きに他ならない。テレビアニメとして放映された「ジャングル大帝」のオープニングテーマが、富田勲による実にシンフォニックな音楽であり、「あ〜あ〜」と朗々と歌い出す声が、声楽家平野忠彦氏の歌であったということも、手塚治虫の描く世界と音楽との関係を象徴しているかのように思える。


 さて、前置きはこのくらいにして、勝手にベスト3の第三位から選んでいこう。第三位は「火の鳥 鳳凰編」 この長編に直接音楽は登場しない。しかし、どこからとなく深い闇の中から聴こえてくる音がある。それは「和太鼓」の連打だ。とりわけ我王の気持ちに「怒」がふつふつと沸き上がってくる場面から、「和太鼓」が重く力強く、全身全霊をこめて巨大なエネルギーを発しながら、我王が仏像や鬼瓦を彫り進める勢いとシンクロしながら、聴こえてくるのだ。佐渡の鬼太鼓のような激しさでもって。


 第二位は、ブラックジャック第218話「音楽のある風景」。第三位が、手前勝手なイマジネーションで和太鼓の音を挿入してしまったので、二位と一位は、ちゃんと原作に音楽の書き込みがある場面から選んでみよう。この話の主役は、D国のチン・キ博士。自分の国の音楽以外は御法度のD国で、チン・キ博士は手術中に音楽を流しながら執刀することで、国の監視から逃れてて音楽を聴いていた。何とオペの最中にビートルズの「Let it be」が流される!チン・キ博士は、ベートーベン、イブ・モンタンショパンサッチモエルトン・ジョンが聴きたいとブラックジャックに洩らす。最後の場面で、多量のレコードを隠し持っていた罪で博士は捕らえられるが、連行されようとするまさにその瞬間、チン・キ博士は、心筋梗塞に倒れてしまう。ブラックジャックの手術をみたいと言っていたチン・キ博士本人が、患者になり、病室に運ばれる。助かる見込みのないことを悟ったブラックジャックは、執刀にあたり、助手のピノコにポータブルを運ばせ、モーツアルトのレクイエムを流す。
 フォーレヴェルディ、ケルビーニをはじめとして、古今の大作曲家が渾身の力を込めて作曲したレクイエムには、名曲が多い。手塚治虫がここでモーツアルトを選んでいるのは、そのレクイエムが湛える底知れぬ悲しみもさることながら、作曲者自身が臨終の際まで、その作曲に当たっていたという事実をふまえてのことだったろう。生か死か、ぎりぎりの一線を描いている場面に、モーツアルトのレクイエムは、格好の音楽であるのだ。


 第一位は、遺作となってしまった。「ルードウィヒ・B」から、主人公ベートーベンがフランツに命じられて、月光ソナタを弾く場面。この最後の作品で、音楽の視覚化というとてつもない難題に、手塚治虫は取り組んでいる。


 絵画にせよ、彫刻にせよ、演劇にせよ、音楽にせよ、文学にせよ、他の表現手段での置き換えが不可能だからこそ、その表現にこだわり続けているわけで、音楽を文字に表すことの困難さ、ましてや視覚化ずることの難しさは、古今多くの表現者が試みては、なかなか崩せなかった巨大な壁なのである。
 ところが、この遺作で最後の月光ソナタの場面以前に、すでに二ヶ所で手塚治虫は音楽の視覚化に半ば成功している。一ヶ所目は、バッハ平均律クラーヴィア曲を弾く場面。バッハがそのたぐいまれな緻密な構成力で堅固たる音楽を築き上げていった過程が、絵で表現されている。二ヶ所目は、モーツアルトを訪れたベートーベンが与えられたテーマを即興で演奏してみる場面で、ここでは曲を大きな岩山に例え、その岩肌から木々が枝を伸ばすように旋律が浮き上がってくる様子を表現している。このような漫画が可能だったとは!
 今回一位に挙げた場面は、絵を見ながら月光ソナタを聴けば、誰にもすぐ納得できる描写であり、音楽と手塚治虫の描く漫画の世界が、まさに一体となっている。


 天才という存在は、あまりにも広いフィールドを一人で駆けめぐり、しかも疲労や苦痛を伴わずに、嬉々として活動をさらに広げていってしまうものだ。手塚治虫の場合も、没後二十年が経過して、尚その残された広すぎるフィールドの管理に後継者が手をこまねいているというのが現状だろう。


 氏が残した草原には、二十年経った今も、花々が凛として美しく咲いている。私たちに課せられた宿題は、これからもその花の美しさを後世にしっかり伝えていくことに他ならないのである。