オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

リニューアルせよ! 男声合唱 ③

芸能の世界には、洋の東西を問わずお決まりの演目というものがある。我が国であれば歌舞伎十八番。太平洋を渡って米国ならデュークエリントン楽団なら「A列車で行こう」だし、グレンミラー楽団なら「イン・ザ・ムード」を演奏しないうちは、客が会場から立ち去ることはないだろう。

 日本の男声合唱団にもお決まりといってよいレパートリーがある。組曲であれば、「多田節」とよばれる多田武彦作品群。続いて「月光とピエロ」を始めとする清水脩作品が続く。編曲ものは、前回も登場していただいた福永陽一郎によるアレンジが圧倒的に多く、陽ちゃんの親友であった北村協一氏のものが、それに続く。

 それらを聴きたいという聴衆側のニーズがあり、演奏側にも歌いたいという欲求があるのだから、これらお決まりの曲目は、この先も脈々と数十年数百年に渡って歌い継がれていくのだろう。

 しかし、50年も前に作曲もしくは編曲された曲のすばらしさを感じ取り、または再発見し、「男声合唱の魅力・原点はここにこそあったのだ!」とばかりにありがたくいただき歌い継いでいく、それはそれで文化を継承する活動としてりっぱである。しかし、私たちの使命は、それだけでよいのだろうか?本稿で槍玉に挙げているリニューアルが必要な男声合唱団の多くが、現在の作曲家による作品や、新しいアレンジに対して、反応が鈍い気がしているのは、私だけなのだろうか?

 ここで、再び福永陽一郎先生こと陽ちゃんの三十年前の思い出話にひたることをお許しいただきたい。陽ちゃんの住所は神奈川県藤沢市だったのだが、同市内に楽譜を置いてある店の数は極めて限られており、ある程度の冊数があるのは、一ヶ所(ダイヤモンドビル内某書店の一角)だけであった。私はその頃楽譜漁りの趣味があり、例によって店頭に並んでいる楽譜の立ち読みに耽っていたのだが、そこへ現れたのが、話の主の福永先生。合唱の楽譜には目もくれず、すたすたとバンドスコアやポップス系の楽譜の棚の方に行かれるので、何を買われるのかな?と注目していると、何と三十年前当時、人気絶頂だった男性の三人グループ「アリス」の楽譜をお買いになったのだ。(アリスとは、谷村新司堀内孝雄矢沢透による三人組で、とりわけ谷村、堀内がその後の日本のポップスシーンをリードしてきたことは、ご承知の通り)『なるほど、たしかにアリスは、要所要所でハモっているな』と思いながら、きっと新しいアレンジを計画されているのだろうと推測していた。後日自宅におじゃました時に、「この前のアリスの楽譜はどうされたのですか?」と伺ってみたら、同志社大学グリークラブ(もちろん指揮者・編曲者は福永陽一郎)によって、演奏され、大好評を得たことを、満面の笑顔で話された。編曲の大家、福永先生にして、常に進取の精神で「今の若者の心をとらえている音楽」を貪欲に自分の掌中に収めてしまわれていることに、脱帽したものだった。

 何も流行歌を積極的に取り上げよう!という話をしているのではない。新しい音楽、今人々の心をとらえている音楽に対して、アンテナを高く張りつつ敏感な感性を維持していたいということなのだ。新しいものを受け入れようとすることには、それなりのハードルが待ちかまえている。作曲された作品であれば、それを歌うために新たな技術の獲得が必要になるかもしれないし、編曲された作品であれば「なぜ、それを合唱で歌うのか」「合唱で歌うことによって、原曲とは違う表現効果が出せるのか」について、問い直していかなければならないだろう。

 翻って、お決まりの演目である名曲におんぶしながら、命脈を保っているだけでは、男声合唱の新たな可能性や未来は開けていかないのである。次のレパートリーに21世紀の音楽を!