オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

「さくら」を愛で、「さくら」を歌う。 5

 男声合唱組曲草野心平の詩から」 5曲目「さくら散る」

自分の資質能力を発揮するために、守備範囲を(可能性の広がりと言い換えてもいいかな?)自ら狭めて活躍している人がいる。作曲家多田武彦氏も、ある意味そのような方だ。

 氏の作曲する音楽は、そのほとんどが男声合唱曲であり、しかも無伴奏曲である。無伴奏であるのは、おそらくは氏が、あまりピアノという楽器や、オーケストレーション管弦楽への編曲)に手慣れていない事情と関係するのだろうが、逆に無伴奏であるが故に、男声合唱固有の響きが楽曲の中で最大限に表現されている。

多田武彦の曲を抜きにしては、我が国における男声合唱の演奏会は成立し得ない。」と言いきって、決して過言ではない。氏の作る曲の叙情性や多田節と呼ばれる味わいのある節回しに、多くの合唱人が惹きつけられ、愛唱してきたし、また同時に聴衆もその世界にひたり、男声合唱の虜となってきたわけだ。日本における最もポピュラーな男声合唱作曲家。それが多田武彦氏である。

 氏の手による数多くの名曲の中でも、「草野心平の詩から」は、とりわけ優れて美しい組曲だ。フーガ技法を駆使して、茫々たる満州の大平原を歌う「石家荘にて」。凹凸のある音型とリズムで、はりつめた空気の中に浮かぶ「五センチの富士」を歌う「天」。一転して属七和声の響きの池に、ゆらめき沈む大琉金を歌う「金魚」。岩手県花巻市郊外の志戸平温泉に、降り始めた雨をテナーソロとそれに畳みかけるように続く合唱で歌う「雨」。そして、いよいよ本稿のタイトルである「さくら散る」が歌い出される。

「散る」「散る散る」とppでセカンドとバリトンが、十六分音符を、花びらが風にゆらめくかのように、目にもとまらぬ速さでささやく。それは、あたかもこれから始まる「さくら乱舞」のドラマを予感しているかのようだ。やがてリズムは5連符に変化し、花びらがはらはらと、まるで吹雪のように舞い落ちていく様が表現される。

 すべてのパートが一斉に現れないのは、氏の曲ではよくある話なのだが、それは、次に登場する主役の露払いを務めていることが多い。今回は、トップが9小節目から現れるのを用意している。それまでの5連符も決して易しくないが、トップに現れたリズムおよびその旋律は、さらに難度が高い。この曲が、テナーがよく鳴ることで知られている「慶應義塾ワグネルソサイエティ男声合唱団」によって初演されており、おそらくは多田氏も、当時の慶応ワグネルの響きと技術を念頭に置かれながら作曲作業を進められたことが推察される。

 氏の曲を、彩る響きとその曲を歌いこなすために必要な技術は、その曲を初演した当時の大学合唱団(最近では、一般合唱団のために書かれた作品も多いが)の力量と密接な関係がある。よい例が、長きにわたり、日本の合唱界の最高峰に君臨してきた(そう言ってまったく差し支えない実力を備えていた)関西学院グリークラブのために多田氏が提供した曲の難度を見てみれば、一目瞭然であろう。

 この「草野心平の詩から」も、これだけの名曲でありながら、全国津々浦々の男声合唱団が、選曲に及び腰になっているのは、テナーに要求される技能が、どこまで解決できるかという課題の前に足が立ちすくんでしまうからであろう。

 さくら並木の中に文章を戻そう。トップが登場して主旋律を歌い始め、3パートになった後も、まだ登場してこないパートがある。ベースである。ベースの登場は、20小節になってからだ。この遅い登場を、ベースの登場で音色が変化するという意味の他に、詩人の視線がようやく枝を見上げる視線から、地上近くに下ろされてきたことによると想像する。もはや詩人は、上も下も右も左もさくら吹雪のまっただ中に立っているのだ。

 多田武彦一流の和声進行に包まれながら、曲は進み、すでに聴き手もいっしょにさくら吹雪の中に入ってしまっている。ところが、いつまでも聞こえてこないのは、全パートが「いっせ〜の せっ」で歌うフルコーラスになる部分である。やがて一ヶ所だけわずかなフレーズではあるが、クレッシェンド・アッチェルとともに「夢をちらし 夢をおこし 夢をちらし」と歌われる。だが、それだけで合唱は、再びさくら吹雪の中に戻ってしまう。

 わずか8小節の「夢をちらし 夢をおこし 夢をちらし」だが、ここに多田武彦氏が、この曲を書いた動機、いやこの組曲で伝えたかったテーマが見え隠れしてはいないだろうか?大自然の中での感動や生物に対する視線を歌ってきた曲が、最後に「人の夢」について歌っている。大自然のなかでは、とってもちっぽけな私たち一人ひとりの生き様とは、所詮は「夢をちらし、夢をおこし」そしてまた「夢をちらし」の繰り返しなのではないだろうか?
そして、我々の人生も時の流れにあがくことができずに、さくらの花びら同様に「まいおちる」のである。