オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

祝!横浜開港150周年! 2

 港ができる前の横浜って?

 筆者は、横浜市に住み、横浜市に勤務している。横浜市という日本を代表する巨大な都市が「開港」というきっかけ抜きにしては、今ほどに成立発展することは、あり得なかったのは、まったくたしかなことだろう。

 横浜市の子ども達は、小学校社会科の学習で「港」ができる以前の横浜の様子について学習している。現在の横浜市街のうち、市営地下鉄の駅で言えば「吉野町」「阪東橋」「伊勢佐木長者町」付近は、江戸時代前期までは、遠浅の深い入り江であった。そこを埋め立てた一大事業が「吉田新田」である。現在でも平地が少なく、都市機能が集中している場所のほとんどは埋め立て地(みなとみらい地区然り 関内地区然り 横浜駅周辺然り 臨海工業地帯然り)なのだが、埋め立てを通して生産活動をしやすい場所を確保する試みは、江戸時代から行われていたわけである。

 その中で実は埋め立て地でない部分がある。現在では、その痕跡を確認することが大変困難なのだが、元町商店街そばの前田橋付近から日本大通り駅方向に向かって、砂州が海に対して突き出ていたのである。浜辺が海に対して横に突き出ているところから「武藏国都筑郡横浜村」となったのであろう。

 都市成立の歴史話はこれくらいにして、横浜市では港が開港されてから、節目の年に歌を作っている。まず開港50年を記念して作られた曲が、横浜市で学校教育を受けた方なら、みな口ずさむことができる「横浜市歌」である。