筆者の所属する合唱団には、自分の父ほどの年齢でありながら、音楽をこよなく愛し元気に歌い続けていらっしゃる先輩が何人もいる。そのお一人Fさんから、練習の帰り際に「これをお聴きなさい。」とDVDを手渡された。タイトルを見るとカール・リヒターの指揮する「マタイ受難曲」である。
言うまでもなく楽曲としての最長不倒距離は、四夜連続でなければ演奏が成立しないR・ワーグナーの「ニーベルングの指環」にとどめをさすが、音楽そのものの圧倒的な存在感、その音楽を通過していなければそれ以降の音楽があり得ないといった途方もない価値は、後にも先にもJ・S・バッハをおいて他には考えられない。モーツアルトだってベートーベンだって、大先達としてのバッハがいたからこそ、あれだけの曲ができたのだから。
さて「マタイ受難曲」を聴くには、それなりの覚悟が必要なのだ。何せ相手は音楽界の大横綱。そもそも古今の大天才が渾身の力を込めて、書いた曲というのは、大概の場合は正面から向き合っても、ただ圧倒されるばかりであり、「何となくありがたいものを聴かせていただきました。」以上の感想が出にくいものである。そこで私を助けてくれるアイテムがポケットスコアと名曲解説全集の二冊。多少なりともこの二冊に目を通しておくことで、曲のおよその特徴はつかめるというもの。
もう一つありがたいのは、媒体が、音楽には失礼を承知での話だが、一時停止や合間に中座することが可能なDVDであることだ。いかにほいほいが暇人といえども、全曲を一気に聴く程の時間は、なかなか確保が難しいのである。