オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

神妙にマタイ受難曲を聴いてみる 2

心に沁みるコラール 十五曲 十七曲 四十四曲 五十四曲 六十二曲

 吉田秀和氏が「私の好きな曲」の中で、次のように書いている。

 とにかく『マタイ受難曲』の感動の中には恐ろしいものがあり、その迫真性という点からいっても、悲哀の痛切さには、耐え難いものがある。といっても、バッハの作品だから、主情性とい、迫真性といっても、たとえばベートーヴェンヴァーグナーのそれとは、まるでちがう。けれども『マタイ受難曲』はおそろしい音楽だ。話ももちろんのこと、レチタティーヴォが多く、全曲としてはるかに長大なのも、きき通すことの困難さを増す。それからまた、単純にして痛切なコラールの表現性の峻厳さ。

 この本で吉田氏が語ろうとしているのは、ロ短調ミサについてであって、マタイ受難曲ではない。ただこの一節を抜き出してみても、長年音楽評論に関わり続けた(否、我が国の文壇に音楽評論という新しい地平を切り拓いた人と尊敬の念を込めて言うべきだろう)氏が、マタイ受難曲とどのような間合いで付き合ってきたかがわかるというものだろう。つまりは、感動の渦の中でを聴き手としての視点を見失い、評論が評論として成立するための客観性を確保することが難しい曲であることをもって「恐ろしい」と語っているのだろう。

 この曲は、言うまでもなく教会で用いる音楽である。3時間余りに及ぶ長い曲だが、そのほぼ中間点で一部と二部に分けられ、そこで会衆に対しての説教が行われたのだろう。この教会に集う会衆には、もう一つの役割があった。それは、コラールをともに歌うことである。カトリック教会のラテン語による聖歌に対して、マルティン・ルターは、プロテスタント教会を立ち上げるにあたり「神はわがやぐら」他のコラールを自ら作曲し、自国語であるドイツ語で、神を賛美する歌を提唱した。皆がわかる言葉で、歌いやすい曲が、ドイツの教会で歌われ始めたのである。

 マタイ受難曲のコラールはすべて混声四部合唱で書かれている。多少譜面が読める者であれば、初見で歌えたであろう。しかも、会衆はその「ふし」をどこかで何度か聴いていた「はず」なのである。マタイ受難曲のコラールは、そのすべてがバッハの作曲による旋律ではないのである。例えば、タイトルに挙げた「十五・十七曲」ついて言えば、これはにP・ゲールハルトによるもので、バッハは自らによる「新曲?」ではなく、会衆がすでに馴染んでいる「ふし」でコラールを「編曲」したのである。

 さて、この「ふし」を初めて、私が耳にしたのは、実はポール・サイモンの「アメリカの歌」だった。S&G解散後、一人でアルバムを作り始めたポールのソロアルバム「ひとりごと」(解散後のソロアルバムとしては二枚目)に収められた佳曲である。当時の私は、これがマタイ受難曲のコラールから引用された旋律であることなど、知る由もなかったのだが、新聞の音楽評論欄で畑中良輔先生が、現代の吟遊詩人としてポール・サイモンのことを取り上げられ、「アメリカの歌」が「マタイ受難曲」の和声にのせて歌われていることを、解き明かしてくださったのだ。

 およそ250年の時を経て、教会音楽であったものが、ポピュラー音楽として蘇ったわけだが、この旋律が湛えている深い悲しみは、一回聴いただけで、もう二度と心から立ち去ってはいくことはないだろう。少し大げさに言うならば、多くの忘れ難い音楽がそうであるように、己が人生をこの旋律を携えて、起伏の多い山坂を歩き続けていくことになるのだ。