オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

神妙にマタイ受難曲を聴いてみる 4

 エヴァンゲリストとしてのペーター・シュライアー 

 日本の若者達は、アニメの「エヴァンゲリオン」は知っていても、エヴァンゲリストをご存知だろうか?そのまま訳せば、福音史家ということになるだろうが、マタイ受難曲を聴くにあたって、平たい言い方を許してもらうならイエスの受難を描く長い物語の狂言回しのことだと思えばよい。

 物語の重要な展開は、ほとんどすべてエヴァンゲリストによって語られるので、出番はとっても多い。それどころか、エヴァンゲリストが何か言わなければ、話が先に進んでいかないのである。

 さて、ペーター・シュライアーモーツアルトの「魔笛」でタミーノ役が当たり、オペラ歌手として活躍する傍ら、ドイツリートでも優れた歌唱力で多くのファンを魅了している。パバロッティードミンゴが得意としていた、イタリアオペラでの劇的な表現力という方向よりも、モーツアルトオペラで彼の真価が発揮されているように感じる。筆者が、初めてオペラを聴いたのは、たしかシュライアーが出演していた「魔笛」ではなかったかと記憶しているのだが、彼の美しい透明感のある歌声が、耳の奥にいつまでも響き渡っていたのは言うまでもない。

 シュライアーは、エヴァンゲリストとしても、その表現力を存分に発揮している。淡々と読み進める部分と、感情表現を込めて歌う部分の切り替えが実に見事である。

 曲中に弟子ペテロが泣く場面がある。イエスが「おまえは、私のことを3回知らないと言うだろう。そして、その時鶏が鳴くだろう。」という予言がまさにその通りになった時のことなのだが。そこでシュライアーは、ペテロの気持ちに寄り添うかのように、やわらかい、弱音でペテロが泣く場面を説明するのである。

 イエスが「エリ〜、エリ〜」と叫ぶ前の緊張を高める歌唱。神殿の幕が裂け、地震が起こり、上へ下への大騒ぎの説明が、すべてエヴァンゲリスト一人の表現に委ねられている場面。どれもまったく見事な歌唱である。

 近年では、声の衰えから指揮活動や教育活動へと活動をシフトさせている様子だが、宗教曲に対する卓越した解釈と表現力を是非後進の指導を通して、伝えてもらいたいものである。