オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

神妙にマタイ受難曲を聴いてみる 6

 終曲に向かい、限りなく透明に近づいていく音楽

 イエスが息を引き取り、埋葬の場面へと音楽は、ようやく大団円を迎える。すべてが澄みきった透明感のある音に変わっていく過程の中で、私は最後の有名な合唱よりも、その前の67曲めの静けさや63曲目bのたった2小節と一拍しかないが「まことに この人は神の子であった」と歌う合唱が好きである。

 67曲目は、イエスに関わってきた大勢の人々が、彼の墓の前に立ち、墓前に訪れた人が一人ひとり献花する様子を描写しているようである。63曲bの9拍しかない合唱は、実際には八分音符を一拍ぶりしているため、18拍分くらいの長さはあるフレーズなのだが、今までさんざん歌ってきた合唱は、結局この一言を歌うためのものだったと感じさせるくらいの重みと美しさがある。

 終曲は、バッハお決まりの大合唱で、これはこれで素晴らしい曲に違いないのだが、ここまで劇的な音楽を聴かされてくると、「もう静かなまま、幕を閉じてしまいましょうよ、バッハさん!」と声をかけたくなってしまう、しかし、バッハは真面目の上に「大」が付くくらいの堅物であったので、きっとこう答えるだろう。「最後には『まとめ』としてのお決まりの「合唱」を書いておきましたよ。これはオペラではなくて、あくまでも教会の儀式で演奏する曲ですからね。」と。