オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

歌を共有すること 共有できる歌があること 3

 ここまでケアプラザで利用者の方々と共に歌った時間について語ってきたが、「はて?私たちの世代に共有できる歌はあるのだろうか?」

 個人では歌えるけれど、みんなで歌うには、リズムや旋律が複雑すぎるそのような曲の氾濫に、上手く適合したのが「カラオケ」文化である。「カラオケ」では、メインの歌い手とその他大勢が歌を共有する必要なない。その数世代前の「うたごえ喫茶」がみんなで共に歌う時間をメインにしていたのとは、実に対照的である。

 7月の下旬に同僚と体験学習の下検を兼ねて、南伊豆へドライブに行った時のこと。上は50歳を過ぎた筆者から下は20歳台半ばの若手までが同行した小旅行である。車中で、CDを持ってきた人がいたので音楽を流すことにしたのだが、最初にかけたCDは「80年代のヒットソング集」。松田聖子田原俊彦等懐かしい歌声が流れるのだが、20歳台の仲間は知らないと言う。それもそのはず80年代前半に彼等はまだ生まれていないのである。続いて「アニメソング」がたくさん入っているCDをかけた。ドラゴンボールやロボットアニメのテーマソングが次から次へと流れる。こちらの方は聞いたことがあるという。最初の放映が80年代であっても何度も繰り返し再放送されたり、ビデオやDVDで視聴しているのでアニメのテーマソングは共有化されているのだ。

 さて、これから私たちは世代を越えて「みんなで歌えるうた」を持つことができるのだろうか?多少の歌いにくさはあっても、サザンオールスターズ(桑田圭祐)の曲は、幅広い世代から支持され歌われているように感じるし、最近のグループでは、Greeenの「キセキ」が幅広い人気を集め、世代を越えて歌い始められたように思う。

 若者・中高年・高齢者それぞれが、体験した時代にとって異なる文化を有するのは、至極自然な話だ。ただ、お互いに「知らない」で済ませてしまうのではなく、「それなら聞いたことがある」と共有できる歌があっていいし、歌を通してふれあえる時間があればもっとよいと思うのだ。