オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

ヒット曲時代の終焉 4

「テレビには出ない。」

 歌手でありながら、テレビに出ないでどうやって自分の歌を伝えるのか?広めるのか??しかし、その歌手の名を、日本中ほとんどすべての若者が知っており、またその歌を口ずさむことができた。その歌手の名前を、吉田拓郎と言う。

 拓郎がデビューした時代から、音楽を伝えるメディアは、すさまじい変化を遂げてしまった。33回転や45回転のレコードは、CDになり、携帯電話やパソコンに音楽をダウンロードする事が可能になり、わざわざ買いに行かなくても、レンタル屋で借りることができ、カラオケもカセットテープやレーザーディスクの時代から通信カラオケに時代へと推移してきた。

 音楽を受信する方法が多様化したことで、何が売れているのか?という指標もつかみにくくなってしまった。

 三つめの結論として、一人ひとりが、好みの曲を好みの方法で入手し、聴くことができるようになったので、ヒット曲は、ますます時代の映す気分とか人々の気持ちの反映とかからは、遠い存在になってしまった。
 かつて「リンゴの唄」や「青い山脈」が戦後を生きる人々の心に、明るさや希望の光を灯したような現象は、もう二度と起きないかもしれない。

 だから最近のヒット曲では、「歌の主役は、だれだって構わない」「何となくみんなが感じているようなこと」が歌われ、内容がどんどん抽象化してしまっている。

「いつ」「どこの」「だれかが」感じた気持ちが、本来歌を創作するエネルギーとなるならば、主体が限りなく正体不明に近づいている感じなのである。

 人々は、歌に、何を求めているのか?歌で何を表現しようとしているのか??その問いに対して、もう少し真剣に突き詰めないといけないだろう。でなければ、人々が音楽を聴く理由さえも希薄になってしまうのだから。

 ヒット曲の時代が、本当に終わってしまう前に。