オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

ほいほい的音楽展望 4

 なぜ?ここまで人々が作曲家という仕事から、興味・関心を無くしてしまったのか?

 それは、一つには「だれでも曲は書けるんだよ」という実績を、ポピュラー音楽の世界で、多くのスター達が人々に知らしめたことと無関係ではないだろう。かのビートルズは、自作自演の曲を世界中に大ヒットさせた最初のグループであったとも言えるだろう。ボブ・ディラン然りである。

 しかし、うがった見方をすれば、それらは所詮「だれにでも書けるような曲」でしかなかった。ポピュラー音楽のほとんどは歌曲としては「有節歌曲」の範囲を抜け出ていないし、ソナタ形式やフーガで書かれたポピュラー音楽などまずない。(映画音楽のテーマとして書かれた曲に、高度な?作曲技法を用いたものがあるが)

 詞ができたら、旋律をつける。和音はギターのコードを合わせて付ければ、一応の体裁は整ってしまう。それが作曲の初歩であり、曲ができたことで、もう満足してしまい、その先に広がる奥深い音楽世界には、入っていかない。それが、70年代以降、音楽を作ってみようかな?とちょっと曲作りに手を染めた青年の実体ではなかろうか?

 レナード・バーンスタインが、音楽教室の中で語っていた言葉を思い出す・「作曲とは、ふしを作ることではありません。」と。だが裏を返せば、「主なふしこそが、曲そのものである」そのような音楽体験しかない青年にとっては、詞ができて、旋律をつけて、完成したと思っていたその鼻先に、その先さらに何か肉付けをしてみなさい!と言われても、立ちつくしてしまうだけだったのだろう。

 音楽体験、あるいは教育と言い換えてもいいかもしれない。その豊かさ、貧弱さがその後の音楽を享受できる生活の幅を決定づけてしまうのだ。