オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

ほいほい的音楽展望 5

 過去には、誰にでも知られた作曲家がいた。例えば昭和30年頃の青年なら、山田耕筰信時潔古関裕而服部良一團伊玖磨中田喜直等の名前は、かなりの割合で認知されていただろう。

 音楽を伝えるメディアが、非常に限られていた頃、発信される情報も音楽そのものの他には、歌手名、作詞家名の他には、作曲者名などが伝わるだけで、知らず知らずのうちに、人々はその頃の日本を代表する作曲家の名前を、知っていたのだと思われる。

 翻って、現在の青年に、今の日本を代表する作曲家は、だれかと問うて答えられるだろうか?もちろんポピュラー界を席巻している歌手兼作曲家の名前は出てくるだろうが、クラシック音楽と限定すると、ほとんど答えられなくなってしまうのが実状ではないだろうか?我が家で息子を相手に問うてみたが、案の定名前が挙がってこなかった。せいぜい久石譲大島ミチル千住明等の名前が挙がれば、いい方だろう。

 それだけ、現代の若者は、最新の「新しい音楽」に接していない。あるいは接することができないでいるのである。(情報過多の時代に、何とも不思議な話だが)

 そこで、この稿二つ目の提案。若者あるいは子どものうちに誰もが、否応なし?に接する曲は、何か?それは音楽の教科書に掲載されている教材曲である。教科書の出版する会社は、身内の作曲家を駆使して、教材曲を作るという姑息な方法を止め、広く教材曲を公募してはどうだろう?もちろん歌唱・器楽・鑑賞の分野別とし、然るべき審査の手を経て決定するのである。

 もっともみずみずしい感性を有する年代が、聞き込んでいる曲が「ジャニーズ系のタレント」の流行歌だけという現状は実にお寒い。我が国の子ども達に
どのような音楽を体験させたいかという教育的な見地が必要なのである。(その点、最近NHK学校音楽コンクールの課題曲の作曲家が、ポピュラー界に偏りすぎてはいないか?という危惧を少々抱いているのだが)

 新たな音楽界の眺望は、次世代が育つ畑の開墾作業なしには成立しない。人類の大きな文化遺産である「音楽」を、しっかり次世代に引き継ぐことによって、二十一世紀の音楽が新たな地平を切り拓くことを期待して、この稿を閉じたい。