オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

多田武彦 男声合唱組曲「雨」を歌う 7

 作曲者自身が、自分自身の臨終に際しての鎮魂曲であると語っているが、それは同時に、多くの男声合唱愛好家、この曲の美しさにふれた人々とも共通な思いであろう。

 この曲の素晴らしさを語るためには、まず八木重吉の詩についてふれなければならない。早世した祈りの詩人八木重吉が、病の床に伏せながら聞いたであろう静かな雨音が、この曲の通奏低音として流れている。
「あの音のように そっと 世のために働いていよう」という一節は、そのような願いをもちながら、実際には病に伏せ、本来は英語教師として教壇に立っている自画像とのギャップに悩むやりきれなさだろうか?
「雨が上がるように、静かに死んでいこう」は、重吉特有の透明感のある言葉で、臨終の時を迎える心境をうたっているのだが、「雨が上がる」とは、つまり天から日が射すということであり、それが天国への階段を静かに昇っていく自分の姿とどこかで結びついたのかもしれない。

 この唯一無比とも言える言葉に着目した多田武彦氏の詩を選び抜く力には、脱帽する他ないのだが、その旋律は、同じ旋律を多少変化させながら三回繰り返すものだ。しかし、この節の繰り返し、つまり有節にしたことが、歌い手や聴き手に対して、この詩を感じ取らせる為に有効な方法となっている。
 歌い手として、最も技能を必要とする部分は、「しんでいこう」の最後のppで、音の芯をたしかに保ちつつも、最弱の表現が要求される。しかし、この最後のppを歌うために、今まで歌ってきたこの組曲のすべてがあるわけで、私たち歌い手は、もてる技術のすべてをこの部分にそそぎ込めるよう精進に励まなければならないのだ。