オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

桑田の歌がいつもそこにあったっけ 2

勝手にシンドバッド」の頃

 デビュー当時、この曲を聴き、斎藤ノブのナイスなパーカスアレンジに心地よいノリを感じながらも、誰もが笑い転げながらあの早口を真似ていた。
「さっきまで 俺ひとり 思い出していた シャイなルージュの・・」のくだり・・私はこのくだりを聞くと、当時少年ジャンプで好評連載されていた「すすめ、パイレーツ」の中で、粳寅満次がエレキギターを片手に歌っている場面を思い出す。「すすめ、パイレーツ」とは、絶大な支持を集めながらも、結局連載という表現手段にまったく適合できていない漫画家江口寿史による唯一の連載漫画と言ってよい作品である。その面白さは、他の野球漫画とは、まったく異質のもので、江口ワールドにはまるには、格好の入門作品と言えるだろう。

 ところで、この沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」を組み合わせただけの意味のないタイトルと、結局は何を言っているのやらよくわからない曲が、まさかJーPOPを代表する曲に成り上がるとは、当時いったいだれが想像できただろう。
 その頃のサザンは、よれよれの黒いランニングシャツでテレビ画面に登場する、いかにも学生あがりの単発ヒットグループといった感じで、同じ「桑」がつくボーカリストで、俄然かっこよかった桑名正博の「セクシャ〜ル バ〜イオレット」とは、まさに対極をいく存在であった。

 それが、まさか老若男女を問わず、ほとんど全国民から愛されるスーパーグループになるとは・・。しかし、「いとしのエリー」という曲なくしては、その後、今につながる道は開けなかったであろう。