オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

ベートーヴェン「第九」の魅力 2

 まだ学生の頃の話。グリークラブの1年生に「第九」メサイア」に出てみないか?との声がかかったのは、木造学食の一角にある狭い部室の中だったか。ここでは、そのうち「第九」の話だけにするが、程なく馬券売り場のビルの一室で練習が開始された。集まったメンバーは、市内にあるF女子大の皆様と野郎どもは、横浜市内四大学合唱連盟のメンバーで、すでに横市大の男声合唱団はなくなっており、実質は三大学から集まっていた。

 話は、横道にそれるが、学生男声合唱界の状況が厳しいと聞き及ぶ。あちらこちらの大学で廃部の話が聞こえてくる。幸い私が所属していたサークルは、存続しているが、この時集まった他の大学は、いずれも廃部になってしまった。未だ血気さかんなOBが、シルバーエイジに突入しても気炎を吐いているのとは、対照的である。

 さて、合唱指揮の御指導は、有名な大学の先生方が担当された。練習に入ると、最も有名で旋律が高らかに歌い上げられる部分は、6/8拍子なのだが、とかく2拍子のように歌いがちなので、先生の音頭「ヤンパンパン ヤンパンパン」に合わせて拍子を感じながら、歌った経験がなつかしく思い出される。

 大学時代は、あちらこちらの大学とジョイントコンサートを行ったり、実力も顧みず、演奏旅行に出かけご当地の合唱団と交流したり、楽しい思い出がいっぱいだ。この時もいくつかの大学が集まっての演奏だったが、他の例も合わせて、合同での演奏機会に他大学の学生と個人的に仲良くなるというケースが極めて少なかった、いや個人的には無かった。これは、少々内向的?であった私の性格にも起因するのだろうが、うら若い女性が大勢いて、品格はともかく男性も大勢いて、同じ音楽を愛好し、同じ曲を歌い、それで何一つ交流が無かったのが不思議である。後で、二十年近く経ってから「あの時、第九で歌っていらっしゃいませんでしたか?」とある女性から声をかけられたが、できればその時に会話が成立していれば、よかったのに・・と思うことしきりである。
まあ、後の祭りなのだが。

 演奏は日本を代表するプロオケの日本フィルで、横浜市内のホールはもとより、東京まで足を伸ばして日比谷公会堂東京文化会館のステージに立てたことも、大きな喜びであった。