オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

音楽で飯が食えるのか?ー1

 私の家に届く新聞に、本日(2010年12月11日)興味深い記事が二点あった。一つは、天声人語というコラムで「ピアニストの腕前を測る鍵の一つは小さな音だという。調律師の高木裕さんが、近著『調律師、至高の音をつくる』(朝日新書)で明かしている、最大音量は物理的に決まるので、「美しく、粒のそろった小さい音」こそが表現の幅を広げるそうだ。」とある。
 ピアノという打楽器から発せられる音に、なかなかなじめずに結局は、最もトレーニングが効果的であった幼少時に、ピアノという楽器が好きになれなかった自分を振り返ってみると、あの濁った音色やハーモニーらしからぬ和音に違和感を覚えていたのかもしれない。ピアノという楽器に否が応でも向き合わざるを得なくなってからの話は、また場を改めることにしよう。
 もう一つは、土曜日におまけのように付いてくる別冊?で紹介されているフロントランナーの記事である。本日は、花まる学習会の高濱氏の活躍ぶりが、報じられている。その中に本人のせりふとして曰く「私が育てたいのは、受験を勝ち抜く人間じゃない。どんな時代にも、一人でメシが食える大人なんです。」とある。氏が言いたい趣旨は、目前の問題から逃避せずに、問題と向き合い解決する能力を培うことの重要性だと理解したのだが、「メシが食える」の部分について、音楽を志している人々との関連で、もう少し考えてみたくなった。
 そもそも音楽で飯が食えるのか?と。