「もうここでは演奏できない」そう思った。空襲により市街地が爆撃を受けている影響で、会場は停電。演奏中のモーツァルトの交響曲40番は、2楽章で中断させられてしまった。1945年1月23日のことである。
ヴィルは、ベルリンをもはや離れるしかなかった。1月28日にヴィーンでの演奏を最後に、スイスへと亡命する。ゲシュタボの厳しい監視下にあったホテルをひそかに抜けだし、普通列車でスイスを目指すと、2月1日に徒歩で国境を越えたのだった。ナチスの文化政策に批判的であったとされ、ナチスドイツの下で要注意人物であったのだ。
しかし、戦争後も事情は一向に好転しなかった。今度は連合国側から、ナチスの協力者として告発されたのである。それは、主にドイツ国内に残り演奏活動を続けていたという理由によるものだった。ヴィルを待っていたのは、演奏中止という連合国側からの指示であった。