経済規模の拡大と成長が至上命題であったバブルの頃、多くの人が目先の収入に目がくらみ、いわば架空の成長実績を捏造し、見かけの経済規模を拡大していった。その結果がご存知その後の「失われた20年」(10年?)である。もうどう悪あがきしたところで高度成長の時代は、やってこない。ほどほどの経済規模を何とか維持しながら、過去に積み上げた金融資産で利殖を図り、環境対策面で世界をリードする役割を産業界に期待し、文化面では、アニメやゲームでメイドインジャパンが活躍する・・・そんな時代がしばらくは続くのだろうか。
経済そのものが縮みつつあるのだから、個人の収入が上がるはずもない。近頃年収300万の層が結構幸せに生活している旨、雑誌の見出しが出ていたが、ブランド品や高級車、果ては持ち家願望などにこだわらなければ、日々の生活はほどほどに維持していけるのかもしれない。テレビ、車、クーラーが三種の神器と言われたのは、遠い昔のこと。これがなければ生活が困るという製品は、それほど切り詰めなくても、あらかた手に入れることができる時代になっているのではないだろうか。
むしろ上限が見えている収入を見越して、その中でどうやって人生をエンジョイできるかに、考えを巡らした方がずっと楽しい。エコノミックアニマルとか24時間働けますかとか、とんでもない仕事をしていた時代は、過去のこと。国民全体での仕事量が限られているなら、それをできる限り、均してシェアし、収入の隔たりも納得できる範囲にとどめる。お金儲けをすることが、人生の目的としている人々には、受け入れ難い話かもしれないが、そういう方たちはお金儲けが可能な国へ行き、稼いでいただくことにする。日本がアメリカのような格差社会に陥らないためには、(すでに深刻な格差がある。しかしそれをこれ以上広げてはならないというのが、筆者の立ち位置)皆で少ないパンを分け合って食べていく社会を創るべきだと思うのだ。