オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

大学院を出ていなければ、教壇に立てない日がくるかもしれない。学部卒に過ぎない私だが、三十数年前の思いを手繰り寄せるならば、一刻も早く子どもたちとともに学び、ともに生活したいという思いが大きく、親が何か言おうが、教授に身に余る言葉をかけていただこうが、大学に残って勉学に励みたいという気持ちはなかった。
現職になってからもその思いは変わらず、制度を利用して大学院に行く友人は周囲にもいたのだが、自分には学校を離れてしまう、いや子どもたちのそばで仕事をしたい気持ちが強く、現在に至っている。鼻からそもそも勉強が好きでないと言われれば、その通りかもしれないのだが。
昭和の初期は、師範学校を出ていなければ、小学校の教壇に立つことは難しかったと聞く。もちろん様々な弊害があり、現在の制度に変わってきたのだろうが、師範学校を出たばかりの10歳代の青年教師も数多くいただろう。若いということは、未熟ということかもしれない。しかし同時に伸びしろが、とてつもなく大きいとも言える。自分自身は22歳で教員になったのだが、毎日子どもと日がくれるまで遊びほけていたようなお兄ちゃん先生だったけれど、最初の一年間に教えていただき、自分なりに成長?したことが、その後数十年間の糧となっている。
これが大学院を出てくると、最低で2年は年がかさむのだ。青年教師に必要なのは、ガチガチの理論武装ではなく、子どもの心にシンクロする柔らかい感性だと思うのだが。
あと一つ心配なのは、学費の話だ。家庭の経済力によって教師の道を諦めざるを得ない青年が出ないだろうか。比較的学費が安い国立でさえ、大学院の授業料は、年間で82万円と学部の時より30万円割高になっている。その位で将来の夢を諦めてどうする?という考えがあるかもしれないが、私には時間的にも経済的にも、この2年間の縛りは、負担が大きすぎるように感じるのが。