オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

言は事に通じ、それだけでも言語として伝わるのだが、昔の人は、もっと軽い、事実から乖離した意味合いももたせたかったようだ。そこで端という字に登場してもらい、言+端で「ことば」になったらしい。
奈良時代は、言羽などという字を使っていたらしく、いかにも軽そうである。その他に「辞」「詞」ひらがなで書く「ことば」などが有力な対抗馬だったようだが、言葉という字に人々が共感していく決め手になったのが、古今和歌集の次の短歌だろう。

やまとうたは ひとのこころを たねとして よろづのことの 葉とぞなりける

ことの葉、つまり言葉が、心を種としてというところが実にさすがというか、素晴らしい。そして葉がたくさんの意味と豊かさを表しているということだろう。その後徒然草などから言葉が使われているが、言葉が主流になったきっかけがこの短歌からわかるきがする。

翻って、本来たくさんの意味を表現できる言葉の多様性に背を向けて、品性にかける一つの言葉で、自分の心のあり様を表現したつもりでいる傾向は、嘆かわしい。具体例を挙げれば、ヤバイ、ムカつく、キモい、ウザいなどだが、これらの言葉を安直に用いることで、人々が心の中の細やかな襞を表す術を破棄しているように思えてならない。
むろんこれらの言葉を発信し続けているマスコミに登場する方々には、大いに自省を促したい。