オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

魂と精神?例えば大和魂と日本人としての精神なんて言葉が並ぶと、かなり直立不動で身構えてしまうのだが、心の教育などと言いながら、実はこの三つの言葉の理解と使い分けが、曖昧になっている気がする。
英語に置き換えてみると。Soul Spirit Heartとなり、それなりに使い分けをしているように思えるのだが、日本語に戻るとどうも理解が十分でない気がする。
国語辞典を引いてみても、三つの言葉には意味の重なりが少なからずあり、混同して使用している現状もわかる。
ここで自分的に勝手な解釈をつければ、魂には生命体としての命と紙一重、生物として生きているあるいは地球上に存在していることそのものの根拠を指しているような意味が含まれている気がする。亡き高田三郎先生が、名曲「水のいのち」の英訳をSoul of Waterとおっしゃっていたことを思い出す。
精神となると、かなり人間が思考し造形してきた所作が反映しているように思う。物質と精神が対極に配置されるように、人間が脳の中で生み出してきた産物なのだろう。ただ日々の心のあり方に比べれば、凛として揺るがず、芯がまっすぐな感じがする。同時にそこが危うさでもあるのだろうが、己の心の有り様に振り回されている人々にとって、すがりつく寄る辺となっている場合があるのだろう。
心は、情と意という二つの側面をもち、日々その時々でかなり色を変化させる。だから魂や精神に比べて、極めて流動的というか変化の激しいものなのだ。でもこの落ち着きのなさが、人々を不安にすることが多いわけで、むしろ自分の心の変化を楽しめればよいのだろうが、そう言っているわけにもいかない場合も数多くあるのだろう。
勝手な解釈をつけてみたが、乱用によって人々を貶める力をもっている言葉なので、皆がそれぞれ自分なりにこれらの言葉に対する間合い・スタンスを確かめておく必要がありそうな気がするのだ。