オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

悲しいニュースだが、広島県の山中で16歳の少女が集団暴行の上、殺された事件の経緯が、少しずつ明らかになってきた。どうやらことの発端は、悪口らしい。悪口がなぜ暴行になり、しかも相手を死に至らせるのか?しかも、そのような理不尽な行為に同調してしまう仲間は、なぜそのような行為を制止できないのか?
誤解や悪口が発端で、人間関係が一転し、個対集団の構図に変化するいじめの経緯と似ている。
自分へのたった一人の評価?が、あたかも世界中に敵を作ってしまったかのようになり、自分のすべてを決めつけられたかのように追い込まれてしまう子どもたちを、どうやって救っていけばよいのだろう?
サカキバラ事件の頃、子どもたちの心の闇に可視な部分を見つけようと自己肯定感を高める手立てが力説された。自分のよさを何処かで感じていれば、全否定に至るまでにブレーキがかかるのでは?という目論見もあったろう。今回の事件に関わった子どもたちが、成長の履歴の中で、自己肯定感を育む場面に出会えていたのかどうかは、わからない。ただ、短絡的に悪口が自分の全否定につながるような感じ方は、多かれ少なかれ今の子どもたちの傾向として感じられる。周囲の関わり方の工夫で、もっとしなやかな受け止め方ができる子に育てられなかったのか?振り返る場面が必要だと思う。
もう一つは、協力して暴行を働いた、もしくは傍観していた仲間の話。途中で止まらずにいつまでも続いてしまうのは、これまた学校内のいじめと似ている。誰も止めることができない状態が続くのだ。ただ、学校内のいじめが、教師や保護者に通報されるのを恐れ、陰湿に隠れて継続するという心理が働いているのに引き換え、今回の事件は、もっと一般的常識的に自分たちが絶対にしてはならない犯罪行為に関わっているという自覚がどこまであったのかが問われていくだろう。(もちろん学校内のいじめも絶対にしてはならない行為だ)
今回の事件に関して、青少年の育成に携わる多くの論者からの発信があって良いと思う。