ぶっちゃけ コミュニケーション
ぶちという接頭語は、日本語の中でかなり強力で、ぶっとばす、ぶっころすなど物騒な言葉を筆頭に、ぶち当たる、ぶち抜く、ぶちかますなど力強さを強調したい時によく使われている。ぶちは打ちという字が当てられているが、清音を好む日本人にとって、言葉の頭から濁音という響きはガサゴソとした心の動きを嗅ぎ取るのだろう。
さて、ぶちあける転じてぶっちゃけになるわけだが、ぶちゃっけトークとか言っている背景に、根っこ部分での本音と建前の使い分けが求められている人間関係がある。上司と部下、先生と生徒その他無数のぶっちゃけることができない鬱憤を発散させている場がぶっちゃけトークなのだろう。
先日ある教員向けの研究会で「ぼくはね」「わたしはね」「わからないんだけど」が言えることがコミュニケーション力という話が出た。言わば授業におけるぶちゃっけである。ある程度は整った公の場である授業で、ある程度はその場にふさわしい言葉遣いで、どこまで本音部分のぶちゃっけトークができるか?それは自分を偽らざるを得ない状況に追い込まれている子供達にとって、大切な話だろう。
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