茅ヶ崎の歴史散策2
二つ目の見学場所は、鶴嶺八幡宮の入口付近にある弁慶塚。頼朝が落馬がきっかけで亡くなる話は、よく知られているが、橋で供養を終えた後、鎌倉へ帰る途中、義経一行や安徳天皇の亡霊が現れ、馬が驚いて落馬したという。真実はわからないが、不吉な亡霊の出現に対して、弁慶塚が建てられたという話である。私は、源頼朝を朝廷権力を巧みに利用しつつ、日本初の庶民政権を打ち立てた日本史上空前絶後の革命家として、勝手に尊敬しているのだが、この大人物の死後、吾妻鏡の記述が三年間ほど途絶えてしまう。多くの不都合な事実があったのだろう。
iPadから送信