オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

振り回されてきた学校教師たち

振り回されてきた学校教師たち

学校の先生になり今年で36年目となった。振り返るといろいろな流行に振り回されたり、課題と向き合ってきたりしたように思う。最近では、痛ましい事件と嘆かわしい対応の遅さによって尊い命が奪われた大きな課題である「いじめ問題」。まだほとんどの現場では、今回の変革の影響が実感されていないところが怖い気がする教育委員会改革。個人的には環境教育の推進とESD(持続可能な開発のための教育)。さらにはグローバル化の渦中のような学校に転任したことで勉強しようと思い始めている国際バカロレアのカリキュラム。
昔、学校にOHP(オーバーヘッドプロジェクター)という大きな機械とそれを入れる大きな箱があった。板書に取って代わる効果を期待されていたが、いつの間にかお蔵入りしてしまった。数十年前と変わらず、今も若手教員は相変わらず板書計画を学んでいる。その二の舞にならないか心配なのが、電子黒板。どうもパソコンをテレビに繋げばできることと電子黒板でなければできないこととの差異があまり認識されていない感じである。
指導法論も、昔は水道方式、仮説実験授業、一読総合法など様々な指導法が民間教育研究団体によって提案され、夏休みにはそれらの研究集会を覗きに行ったものだ。その後、文科省主導で、創意ある教育活動、新しい学力観、総合的な学習の時間、いわゆるゆとり教育とその後の反動等々の教育改革が行われ、様々な変遷を経て、本当に教師たちは、振り回されてきた。
優先順位として、まず目の前に子どもと保護者がいて、自分の所属する学校の方針があって・・と順番を踏み外さずに考えていけばよいのだが、トップダウンによる大きな振れ幅の大きな変革や指示が、次から次へと押し寄せてくるので、それらの対応で溺れかけてしまっているのが、現状なのだ。「溺れるものはわらをも掴む」のとおり、新しい藁を探しては流され、次の藁を見つけてはまた流されを繰り返しているような気がするし、そのような36年だったのかもしれない。





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