オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

相澤理「東大のディープな日本史」を読む

相澤理「東大のディープな日本史」を読む

問いかけることで、人は様々な面が見える。引き出されると言ってもよさそうだ。知識、思考、生き方etc・・・。知識の集積具合を問うことに偏りがちな入試問題でも、思考の深さを問うことはある程度まで可能だ。その一例が東大入試の日本史問題であり、その面白さにほとんどオタク的にはまっているのが、有名予備校講師である著者だ。
思えば、日本史は小学校6年に始まり、中学校、義務教育ではないが高校と3回も学習するのだが、基本的に統治機構とその内部の権力闘争(紛争?)と外交史それに土地の所有と税に関する歴史を中心になぞっているわけで、文化史とか生活に近いところの歴史は、あまり教わらない。弥生時代のところで教わった竪穴式住居にいつ頃まで住んでいたか?とか、いつの時代に何を食べていたのか?とかは、興味が湧いた人が勝手に調べるしかない。私が受験生の頃は、未だ井上清先生の「日本の歴史」などが推薦されている時代だったので、唯物史観の影響が色濃いとはいえ、庶民レベルで歴史が語られている本を若者たちが読んでいたわけだ。何とも隔世の感がある。
話を本書に戻すと、東大入試の問題にテーマを借りながら、日本史通史上の「おさえておきたい」ポイントを解説してくれている。私が読んでいて面白かったのは、日本における「民衆の時代」と呼んでもいい「中世」の話だ。中世の一揆が、人間関係が鎌倉時代の血縁関係から室町時代の地縁関係に移行する中で結びついてきたなど、とてもわかりやすい。やがて破壊者信長や秀吉の太閤検地によって、有無を言わせず整理されてしまうが、この混沌とした豊かな時代に網野先生が深い関心を寄せていたことは十分にうなずける。
古代の外交史から始まり、政党政治の瓦解で終わる本書は、その冒頭で「戦争の引き金を引くものは何か」を東大ではなく作者自身が読者に問うている。さらにあとがきでは、福澤諭吉の説く気風とその真反対の例として官僚組織に染まる人について言及している。ここに著者が青少年に何を教育したいのか?さらに言えば、なぜ予備校講師をしているのか?が透けて見えてくる気がした。





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