オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

夜行日帰りで高野山と奈良へ行って来ました3

夜行日帰りで高野山と奈良へ行って来ました3

12:08

橋本駅の柿の葉寿司を売っている店で、「若草」という綺麗な彩りの弁当を売っていたので、それが昼食。2両編成の奈良行きに乗車。電車は一昔前京浜東北線で走っていた103系だ。ただこのまま正直に乗っていると遅いらしいので、途中高田や王寺で乗り換えながら進むことに。

16:10

JR奈良駅を降りて、やはり強行軍が祟ったか?足取りがズシンと重くなる。それでもコンビニでちょっと高い300円超のアリナミンドリンクを飲んで、池越しに五重の塔を撮ろうと猿沢池を一周してみた。その後お目当ての興福寺北円堂へ向かう。

仏像は、いや優れた彫刻は、人の心を映すのだろうか?兄の無着像は、いつになくキリッと口を結び、私を厳しく叱責しているように見えた。弟の世親像からは、未来への憧れというか、夢を追いかけて遠くを見つめている姿のように感じられた。仏像なんて、どれも同じと思い込んでいる人には、阿修羅像の無垢な瞳の輝きや半跏思惟像の微笑みを思い浮かべて欲しい。この二体の運慶像は極めて写実的であると同時に、人の真実が彫り込まれている。そして今回私は上記のような感想を抱いた。例えばクラシック音楽が苦手な人はどの曲も同じように聴こえてしまうかもしれないが、モーツァルトベートーヴェンの曲を聴き込めば、きっとそこに人類が受け継いできたかけがえのない音楽の真実を見出すことができるだろう。運慶仏も然りである。

追記でもう少し書かせてもらうと、仏像に限らず立体の美術作品との出会いは、どうしても画像である。そしてその画像は無数にあるアングルの中から、撮影者が最も気に入っている角度なわけで、他の角度から眺めた場合、どう見えるのかは実際に本物を見に行かなければわからない。とりわけ仏像の場合は、実際に見に行っても撮影ができないので写真集に掲載されているイメージが先行しがちだ。この落とし穴を3D立体画像の技術を駆使して克服できないものか?と考えてしまうのですが。






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