オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

渋沢栄一「論語と算盤」を読む

私たちは、先人が敷いて下さったレールの上を走っている。世界に冠たる日本経済のレールを敷いた人の名前を挙げよと問われれば、多くの人が渋沢栄一の名前を挙げるだろう。本書は70歳を超えた当時の氏の講話集である。すでに名を成し功を上げている立場だから、少々自慢気に響く部分や説教くさい部分も見え隠れする。しかし、一貫して氏は経営のノウハウやハウツーを語るのではなく、経営者としての気持ちのあり方を論語を題材にしながら信念をもって説き続けているのだ。
本書を手にする動機は、日本型経営の中で元祖経営者である渋沢栄一さんが、富の蓄積と分配について、どう考えていたのかを、知りたかったからである。文中に次のような一節がある。「貧しくなってから直接保護していくよりも、むしろ貧しさを防ぐ方策を講じるべきではないだろうか。」そしてこの後、一般庶民に均等にかかる税の軽減について言及している。ここからは慈善事業に力を注ぎ続けた氏の社会福祉的な発想が伺える。
またちょっと長い引用になるが、次のような一節もある。「人には賢さや能力という点でどうしても差がある。誰も彼もが一律に豊かになる、というのは、思いもよらない空想にすぎない。要するに金持ちがいるから、貧しい人々が生まれてしまうのだなどといった考え方で、社会から金持ちを追い出そうとしたら、どうやって国に豊かさや力強さをもたらせばよいのだろう。」
これは渋沢栄一さんが生きていた時代、つまり経済が拡大し、持続的な成長が期待できる時代状況では、大いにうなずける。しかし、低成長時代が続き、閉塞的状況の中で格差が固定化を招いている現代に当てはめてよいものなのだろうか?
本書では、教育のあり方についてもふれられており、多くの教科を学ばせ、平均的な人材を育成する方法やなまじ高等教育を受けた学生がプライドや専門性から就職先に困る例などが語られている。それに対して十人十色、資質能力にあった教育の必要を説いている。これまた現代に通じる部分だが、未来社会にどのような人材こそが必要なのかを見通すことができない今の教育屋には、誠に耳が痛い話である。