オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

福沢諭吉「福翁自伝」を読む

福沢諭吉福翁自伝」を読む

事実は小説よりも奇なり。自伝の中には、波瀾万丈の人生を当人とともに、笑い泣きしながら辿ることができる本がある。例えば、だるま宰相と呼ばれた「高橋是清自伝」など、奴隷生活や倒産による無一文生活から総理大臣まで、その振れ幅に唖然とさせられながら、数奇な運命を乗り越える強さに教えられる。
さて、開国前から明治初期に至る日本の右往左往ぶりを、先生独自の語り口で綴られた本が「福翁自伝」だ。適塾時代の青春物語。幕末期の咸臨丸渡航を含む三度の洋行と攘夷派への不信と怯え。福翁自伝には、その頁だけで一巻の時代小説になりそうな場面がいくつもある。
中でも開港直後の横浜に行き、蘭語が役に立たずこれからは英語の時代であることを悟るや否や、その後の迅速な行動に移る下り。上野で彰義隊と官軍がドンパチやっている最中も塾で平然と講義を続ける下りは凄い。慶應義塾こそが当時日本で唯一洋学を学ぶことができる塾であったという自負は、全くその通りだろう。
福沢諭吉という人は、権威をかさに威張り散らす人やそういう人との人間関係が徹底的に嫌いだった人で、コンペティションを「競争」と訳した際に、争うという字に因縁を付けられ、その部分だけを墨塗りして提出しているエピソードなど反権威の面目躍如で実に痛快である。
この当世きっての洋学者を明治政府は何とか取り込みたかったに違いない。万が一福沢諭吉が官僚となれば、明治政府の外交政策に大きな示唆を与えたことだろう。でも福沢諭吉は、野にとどまり教育者として、塾生を通して著述を通して、政府側に与してはできなかったであろう大きな大きな仕事を成し遂げているのだ。明治日本の未来を切り拓くという仕事を。





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