オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

三浦しをん「神去なあなあ日常」を読む。

三浦しをん神去なあなあ日常」を読む。

昨年のプチ湯治で三浦しをん箱根駅伝を目指す学生を題材にした物語「風が強く吹いている」を読んだ。それ以来1年ぶりの三浦しをん物語との再会である。あるテーマについて、かなり緻密に取材する。取材した内容を元に、起伏あるストーリープロットを構想し、登場人物を割り付けする。あとは、若者世代に伝わりやすい文体の主食の中に詩的な表現をところどころに、ちょっとふりかけて物語の出来上がり。売れっ子作家に対して、失礼千万かもしれない。でもノンフィクションでない純文学でもない三浦しをんの物語は、そのように生産されている気がするのです。登場人物を、もう少し複雑に数式では割り切れない感じで描いて欲しい気がするけれど、そのようなわかりやすい描写を求めている時代、人間に対する理解が平板に流れている時代に、今私たちは生きているのかもしれない。
リアリティー感をもって現実を語らなければならないのは、林業という仕事の苛酷さ、大怪我と表裏一体の作業等。反対にほとんどファンタジーとしての神様=オオヤマズミ様への信仰。都会生活者が失って久しい運命共同体的な人間関係。それらを物語の横軸とすれば、主人公勇気の恋愛感情や研修生としての成長が縦軸だろうか?三浦しをんは、大上段に構えて社会問題を提起しているわけではないが、読み終わった読者の記憶に日本の森林が抱える現実がしっかり後味として残るように書かれている。
最後に主人公が、高校卒業後放り込まれるように神去に来ていることにふれたい。就職、大学、専門学校、フリーター・・・。進路の選び方はいろいろあるだろうけれど 、どの生活を選んだとしても、お金を稼ぐための働き方を身につけなければ、先行き見通しが立たない。林業には教室や黒板はない。直に山に入り、体に技術を覚えこませるしかないのである。頭デッカチになって学校を出てきた若者に、とにかく心と身体で社会の現実を感じ取ってほしいと願っているおじさんの思いと、本書で描かれる教育の姿は一脈通じているのである。





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