オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

網野善彦・鶴見俊輔「歴史の話」を読む

網野善彦鶴見俊輔「歴史の話」を読む


例えば、王について語る部分が出てくる。この二人の手にかかるとストレートに権力や国民との関係に話が進んでいかない。話題は何とサルの王になってしまい、サルの王は腕力で王になるのではなく、助けることができるサルが王になるという話になってしまう。その後、人間の王の言語・歌・宗教でハッタリをかまし戴冠式の演出話に移行する。このある意味節操がないとさえ感じる縦横無尽な展開は、読者を飽きさせないどころか、歴史を肴にして広く人間社会の課題を語り合い 、対談者側から問題を矢継ぎ早に投げかけてくる。

鉄の団結に対して烏合の衆。正義に対する悪党の存在。上から教え込まれた十把一からげの国民教育。様々な観点から事の本質を疑ってかかるのは、昭和のアウトサイダーを代表する?お二人の面目躍如といったところか。それにしても物事が一筋縄でいってしまうことに躊躇する二人の覚悟は半端ではない。まあ、第1章のテーマは「歴史を多元的にみる」だから、わからなくもないのだが。

アウトサイダーと書いてしまったが、網野先生が歴史学の学術用語に懐疑的になり、自分自身の言葉になっていないと感じ、そういう用語を使わない決意を告白するのは、やはり凄い。そこから百姓=農民ではないことを始めとし、今まで襖の裏張りに隠されていた歴史が 語られ始めるのだから。

高度成長期以前と以後に社会の大きな変化を指摘し、対談は閉じられている。20年以上前の書物が、未だに読み手に多くの示唆を与えることに驚きを禁じ得ない。対談者二人がともに故人となられた今、残念ながら本書で指摘されている危惧がかなり現実味を帯びていることを天国でどう見つめていらっしゃることだろう。







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