オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

SL碓氷撮り鉄ひとり旅2



SL碓氷撮り鉄ひとり旅2


結局、妙義山や道端の彼岸花、コスモス+電車などを撮りながら西松井田駅に戻り、横川駅に進むことにする。

横川駅を降りると釜めしの香りにつられて、おぎのやの峠の釜めしで昼ご飯。昔、信越本線が長野方面から通じていた頃、列車の窓を開けて家族で買い求めた記憶がかすかに蘇る。

PoppoTownこと碓氷鉄道文化むらに入る。おめあては、EF58。静態保存というのは、まるで機関車のミイラのようで、あまり好きではない。けれど、もはや動いている現役がいないとあっては仕方がない。EF58は、幼いの頃当時最速であった特急「はと」や「つばめ」を牽引していた名機で、子ども向けの鉄道絵本の巻頭を飾っていた思い出がある。やがて東京大阪間を日帰りできることを売りにしたビジネス特急「こだま」が登場し、それも新幹線に代わられるのだが、とにかく流線形を気取ったフォルムが格好よかったのだ。

この機関車に客車を引っ張らせて速度を上げるという発想が、新幹線の各車両にモーターを付けて走らせるという、つまり電車一編成として速くするという発想に変化してしまう。ヨーロッパでは、まだまだ機関車優位の発想が息づいているが、日本においてはEF58を最後に、昼間旅客列車における機関車優位の時代が終わり、電気機関車ブルートレインを牽引することで目立つ時代へと変わってしまった。

おまけに?肝心の碓氷峠の話。現在地横川駅の標高と次の軽井沢駅の標高差が、およそ500m。これを登坂するのに、アプト式が採用されたり、専用の電気機関車が導入されたり、とにかく大変な難所だったわけです。何せ上越線清水トンネルが開通するまでは、長野や日本海側の諸都市を結ぶルートは、この信越本線が最有力だったわけだから。現在は、軽井沢へは、新幹線を使うしか方法がない。信越線は、横川駅が終点の盲腸線になってしまったので。鉄道文化むらでは、昔はとにかく大変だったんだから・・・的な展示物が数多く見られるが、新幹線の便利さに慣れた現代人が、その苦労をどこまで共感的に受け止めることができるだろうか?








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