オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

寺島実郎「二十世紀と格闘した先人たち」を読む

たかが一人、されど一人の力が時として強引と感じさせるほどに、歴史を変えていってしまうことがある。それは今回の安保法案可決に至る首相の執念にも当てはまりそうだ。本書 には、秋山真之、クラーク博士に始まり、二十世紀という時間の歯車を回してきた人々が登場する。
筆者の論法は、ざっくりくくってしまうと「誰のどこに於ける体験もしくは出会いがその人物の思想や行動にどう投影しているか?」という検証法に根ざしている。もちろん本書に登場する人物は意図的に選択されているのだ。その共通項は国際人であること。そして、彼等の紹介を通して、独自の位置に立つその思想や行動を考えつつ、筆者が絶えず複眼的な視点を失わずに国際情勢を捉えている理由が、読者にもわかってくる仕組みになっている。
本書では、とめどなく次から次へと魅力的な人物が紹介される。私には鈴木大拙と朝河貫一の章がとりわけ印象的だった。
日本人の精神的な足場は何か? 建前的に仏教徒を自称していても、それをもって深く行動の指針としているわけでもない日本人には、宗教に代わる精神的な支柱の存在を説明する必要があったようだ。江戸時代であれば、朱子学陽明学をはじめとする儒教ということになるのだろうが、明治期の教育は。敢えて儒教から距離を置くところからスタートとしているので、海外で活動されていた方々は、さぞかし困っていらっしゃったことだろう。だから本書にも登場する新渡戸稲造の「武士道」や岡倉天心の「茶の本」などが日本人理解のために読まれたのだろう。鈴木大拙は、禅の思想家だ。西洋の二元論的な論法に、対峙し「主客未分化」「無分別の分別」を唱えた。グローバル化の巨大な弊害として全ての思考に論理性が求められ、YESorNOで回答を求められることが多い当世、鈴木大拙師の説かれるところを私なりに理解してみたいと思った。
もう一人は、朝河貫一。不覚にも本書で初めて知った名である。日露戦争時においては、日本の置かれた立場を擁護する論陣を張り、また日本が戦争への道をひた走る時代においては、大いに警鐘を鳴らした歴史学者である。歴史認識や歴史教科書の内容が問われる現在、朝川氏が存命であれば、何を語るだろう。
本書は、人物の紹介と並行して世界の近代史を綴っているのだが、とりわけイギリスとアメリカに多くの頁が割かれている。象徴的なのは、アメリカのカリブ海制圧とフィリピン統治が序章で、ハワイ併合を最後で語っていること。イギリスについては、パレスチナ問題の発端を開いた当事国、インド支配、アヘン戦争に至る経緯を語っている。そして、この二大帝国を、静かな口調ではありながら、その帝国主義に対して弾劾するかのように痛烈に批判しているのである。
そして、二十一世紀の国際社会において、とても必要なバランス感覚を説く本書は、今後国際社会に足を踏み出していく人々にかけがえのないテキストとなることだろう。