オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

コンピテンシーというキーワードは、教育界を席巻するか?

教育界は、ずっと振り回され続けてきた。新しいキーワードを振りかざし、さも思想的な背景があるかのように見せかけて、演じる学者や実践家に。
最近の流行りかもしれないのが、このコンピテンシーという言葉です。コンピテンシーベイスをコンテンツベイスと対比して用いることで、私には、問題解決を通して培う思考力・判断力・表現力部分が知識理解に優越した資質能力として強調しているような論法に感じられる。
元を正せば、同じような学歴を経て、知識を有する人が、実際に社会で発揮できる力の差異に注目した人事評価の研究から出てきている概念のようだ。学歴や学校歴至上主義に陥っている世の親たちに対して一定の啓発効果はあるだろう。たしかに日本で言えば東大を出ていても、発揮できている力は、それこそ千差万別なのだから。
しかし、人生は山あり谷ありで、人に触発される出会いがあり、予測不可能なところが人生の楽しさなのでしょうと思う。
だからこそ人材育成や教育評価の問題は、難しい。たしかに実際は、今発揮されている表面化した力だけで、その人を評価せざるを得ないのだが、未来において潜在的な資質能力が発揮される場面の予測は実質不可能であり、人が期待通りに成長していく保証などどこにもないからだ。今は、針に穴ほどにしか見えない可能性であっても、そこから予想もしない未来が開けることが、往々にしてあるでしょう。
しかし、教育界の一部において、キャリア教育にコンピテンシーベイスという概念を借りて、自分のやっている教育実践に理屈をこじつけているかのような構図が見受けられます。
いくら先行き不透明な予測不可能な時代とはいえ、人の人生はそんな単純ではないと思う。キャリア教育の目的は、自分自身の将来について、しっかり向き合い、考えるお手伝いを学校が少しだけさせていただく程度で必要十分を満たしていると思います。
どうでしょうか?