私には、時間があるのに傍の本に手が伸びていかない期間がある。この4月もそのような時間があった。やがて、そのうちの一冊を読み始めるとその後しばらくの間は、喉が乾いていたかのようにゴクゴクと本の果汁を飲み始めるのである。
この本が世に出てから10年が経った。この対談が行われた頃は、小泉政権の時代だったのだ。それから10年。自民党が民主党に政権を明け渡し、民主党政権が見事に期待を裏切り、そして安倍政権。憲法9条をめぐる状況は、10年前よりもはるかに具合が悪くなっている。二人の対談が10年後の今、何処と無く悠然と構えた抽象論に感じてしまうのは、それだけ時代が切羽詰まってきたということだろう。文中の例えを借りれば、理想や夢を追い求めるドン・キホーテが、いい加減にしなさいとサンチョ・パンサに言い含められてしまったということか?
私個人は、9条を憲法に記した国に生まれ育ったことを誇りに思っている。周辺の情勢がどのように変化しても、旗を下げたらそれでおしまいなのだ。戦国の世、上杉謙信という人は、自分を軍神の生まれ変わりと信じこみ「毘」の旗を立てて戦ったが、その旗を下ろしたら、謙信に皆が従っただろうか?
例えは、違うが平和憲法の旗を下ろした日本は、もはや世界に数多ある信じるに足りぬ国の一つになってしまうような気がする。もちろん文中でくどいほど二人が繰り返しているように、現実との矛盾・葛藤はある。しかしその中で七転八倒しながら、平和を守る術について考え続けることが、起草者から私たちに課せられた宿題ではなかったのか?と思う。