オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

豊かさと便利さ

佐伯啓思さんの読後感で、豊かさについて少し考えてみたけれど、勢いで便利さについても考えを巡らせてみることにした。
もちろんこの二つの言葉の意味は違う。しかし、意図的にわざと混同して使われていた時代があった。生活が便利になることが豊かさを実感できる一番手っ取り早い手段であった時代が。それは、映画「三丁目の夕日」の時代とも重なる。しかし、それは過ぎたことであり、実際にそのような勘違いを利用されてしまった人も後悔してみても始まらない。
今の日本人に、何がどうなることが一番便利さが実感できるか?仮に尋ねたとしたら、どんな答えが返ってくるだろうか?掃除はルンバがやってくれるし、洗濯機はとっくの昔から全自動だ。調理だって、チーン!で済ませることができる。この傾向は、今後ますますロボットが生活の中にウロウロし始めることで加速するだろう。
ひょっとすると、自分の代わりに、他人と会話してくれるロボットができるかもしれない。しかし、これは一人の人間である責任を放棄しているのに近い。けれども煩わしさを感じるのは、人と人との間に横たわっている課題な気がする。なぜなら他のことは、さらに自動化が進みそうだから。自動車の自動運転然り。家を出たら目的地までドア トゥ ドアの時代は目前までやってきている。
古代ギリシアの哲学者たちは、面倒くさいことを奴隷に押し付けて、暇な自分たちは不思議な思考を巡らせていた。イギリスのジェントルマンたちは、時間ができると暇つぶしにいろいろなスポーツを考え出した。さて、現代人は、余剰時間で何を生み出すことができるだろう?