オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

705 合唱は、音を一つに合わせるだけではなく、倍音を構成する作業なのです。

日曜日に聴きに行った演奏会で、合唱のテノールパートやベースパートに何人かエキストラが、入っていたことがわかった。オーケストラで奏者がいない場合、そこを助演していただくのはよくわかる。合唱曲でもソリストにプロを招くこともわかる。しかし、パート内にエキストラを入れることについては、疑問を感じた。
声楽には、特定のイメージをもつ響きがない。バイオリンやトランペットという楽器名を聴いて音色を思い浮かべることはできるだろうが、テノールと聴いてパバロッティを思い浮かべる人もいれば、ドミンゴを思い浮かべる人もいるだろう。声は個人によって倍音の鳴り方がまるで違うのだ。つまり最初から出来上がった音色のイメージがないわけで、それを個人個人あるいはグループで作り上げていくところが、おもしろいのだ。
そこで合唱。複数人で例えばアルトというパートを歌う場合、音が一つになることは、もちろんだが、そのメンバーでつくるアルトの倍音を構成する必要がある。音が一つと言っても基音=第一フォルマントに偏った倍音構成では、およそアコースティックには響かないのである。ボーカロイド初音ミクの声に倍音が少ないことを思い浮かべていただければ、わかるだろうか?ちなみに夏川りみさんは、倍音がよく鳴る歌手として知られているので、初音ミクと比べて聴いてみると、倍音のあるなしがわかりやすいかも知れない。
スペクトラムアナライザーを持ち込んで、倍音構成を分析しながら練習している合唱団などないかもしれない。でも試みとしては、面白そうである。
合唱では、各パートで倍音を構成する作業を常に積み重ねているのだ。それがまた楽しい。倍音を構成するという言葉より響きをつくると言った方が通じやすいかもしれないけど。学生時代に他大学の演奏を聴く際、パートの力量を見極めようと聴いていた友人がいる。楽にフォローできる音域やダイナミクス等、尺度はいろいろあるだろうけれど、忘れてはならないのが、倍音が鳴っているか?否か?である。
話を振り出しに戻せば、エキストラを招くと、パートの倍音がエキストラの持っている個人的な倍音に支配されてしまうのだ。自分には、あまりエキストラの経験はないけれど、私は元々声がデカイので、パートの音を私の個人的な倍音で塗り潰してしまった経験は、たくさんある。(すいませんでした)またエキストラを招く合唱団で、エキストラに倍音を支配されてしまい腑に落ちない思いをしたこともある。
合唱とは、倍音を構成する作業を楽しむ音楽だと改めて自戒も込めて主張したい。