オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

SL銀河撮り鉄と草野心平の足跡を辿る一人旅6

12:57 志戸平温泉から路線バスを乗り継いで、公共交通の便が決していいとは言えない場所に、高村光太郎記念館と山荘がありました。
記念館では、「手」に代表される彫刻家としての一面と書家としての作品、愛妻智恵子の紙絵、そして何よりもこの地花巻と光太郎との関わりについて、わかりやすく展示されていました。
山荘は、高村光太郎が戦後7年間実際に生活していた家ですが、今は二重に覆われ、保護されていますが、ここで北風や雪によく耐えてきたと感じる粗末な小屋でした。年老い、妻に先立たれた光太郎は、何を思い暮らしていたのでしょうか?
高村光太郎と言うと、口語自由詩の創始者として多くの作品が読まれ愛されています「牛」「道程」「ぼろぼろの駝鳥」「あどけない話」「レモン哀歌」「荒涼たる帰宅」。これらの詩は、どこかで読んだ経験を共有しているのではないでしょうか?そして今回改めて詩集を読んでみて光太郎らしさを感じた詩「人に」「冬が来た」があります。光太郎らしさが、溢れている素敵な詩です。また動物詩の系譜を、光太郎〜まどみちおと追いかけてみる作業も興味深いです。
家庭環境的DNA的には、父光雲が明治を代表する木彫家であり、光太郎も木彫、ブロンズともに素晴らしい作品を残しています。国語の教科書と美術の教科書の二教科に登場する表現者は、光太郎くらいでしょうか?今度の見学で光太郎の書にも接することができたのは、いい体験でした。

花巻駅に向かうバスは、客が私一人でした。無料休憩所に誘って下さった女性の方もこのバスの運転手さんも花巻の方は、見知らぬ人への声のかけ方が、柔らかく優しい。運転手さんが話すには、記念館のあたりは、かなり雪が積もり、街に出るのも来るのも一日がかりではなかったかと言う。光太郎さんは、戦後このあたりの小学生と交流しているので、実際に会ったことがある人も残っているはずだとも。
猛暑日で頭が少々痛くなってきた私に雪の話はピンとこなかったけれど、実際に冬はどうなるか?というのは、イメージできた。そう言えば光太郎には、冬をうたった詩が多い。厳しい寒さに己を奮い立たせながら、生活していたのでしょう。