オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

どん詰まりの国の文化論 試論

何だか、よく理由はわかっていないが、人々はこのどん詰まりの島にたどり着いた。もうこれより先には、ただ大きな海が広がっているだけで、もう人が住める温暖な土地は見つかりそうになかった。行き場を失った人々は、この島にとどまり、住みついた。不思議なことに、元来たコースを大陸側に戻ることはあっても、途方もなく大きな海を渡ろうとした形跡がない。ことごとく失敗に帰したか、太平洋と人々の間に、歴史的に何か大きな秘密が隠されているのかもしれない。

人々は、パイオニア的な主体性とか夢や希望とかさらには野心までもって、やって来たというよりもう少し消極的な理由だったと思う。ひょっとするとゴタゴタから逃げてきた人々が混じっていたかもしれない。追っ手は来なかったけれど。
一番初めに来ていた人が、すでに何か話していたが、文字はない。後からやって来た大陸側の文字を知っている人は、母国の話し言葉で先住民の話し言葉を塗りつぶすことはせずに、文字を都合よく利用して言語が形成されていった。幾重にも積み重なるようにして、この土地の言語はその後も複雑に変化していく。

米作の方法が伝わる時期が遅かったため、人々が集団で暮らし始めたり、集団のリーダーが現れる時代も大陸に比べると遅かった。しかし、それは富の奪い合い、領土の拡張、権力闘争に明け暮れていた大陸よりも平和な時代を長く過ごしていたと言えるかもしれない。それでもやがて鉄の武器や馬を操作する一族が現れ、力を増していった。征服されたムラは強いクニに虐げられる時代が到来したのだ。

今、このクニの歴史でヒミコと呼ばれる女王が現れたのもこの前後だ。このクニの自然は豊かであるが、同時に台風、地震、噴火等、様々な自然災害が頻繁に起きる土地でもあった。救いを求めて人々は、占いにすがりつくことがあったし、大きな自然の脅威は人々にとってカミそのものだった。それは、現在も同じだが、人々にはすがりつくカミがいない。

いつか、この続きが書けたらいいなぁ。