オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

どんづまりの国の文化論試論2

神様、仏様1

年が明け、初詣に行く。私も昨年が厄年(本厄)だったのでお札を納めに寒川さんに行って来ました。
やおよろずの神と一口に言うが、日本の神様は多種多様であられる。元々は実在した人物である場合や、私がお参りしようとしている寒川さんのように神様の実体がはっきりしない神社もある。
そして、御教義がよくわからない。いや、わかっていないだけかも?身の回りに災い、つまり祟りが降りかからないようにお参りするのだが、神様を信じることが日々の生き方の指針として、あまり繋がっている実感がない。お釈迦様やキリスト、ムハンマドのように、御教祖様、預言者的な存在がなく、経典と呼べる書物が思い浮かばないことも理由になるだろう。
日本の神様は、もともと世界宗教的な野心はなく、そんな大げさではない日々の人々の暮らしを、地域社会単位で見守るような身近な存在=鎮守様だったのだ。自然災害が頻繁に起き得るこの国では、すがりつく対象として、とても大切だったことは容易に想像できる。
この大げさにしない原則を崩してしまったのが、国家神道である。国の方向性を示すために、神様を利用したのだ。靖国神社を巡る議論も国の政治と神道を結びつけたところから生じていると思う。