目がさめると、トーストの香りがする。
今日は、ハムトーストかな?
「おはよう!」いつもの妻の声だ。
ここから姿は見えない。
テレビを付けると、だいたいのことはわかった気になるので、
新聞はたまにしか読んでいない。
おや?焦げ臭い。
また、センサーが故障しているのだろうか?
「おーい」と、メイドロボを呼ぶと、
「はあい」と、妻の声で返事が返ってきた。
「焦げ臭いけれど、センサーおかしくないかい?」
「はあい、連絡しておきます。」と妻の声。
妻が亡くなって、もう二年になる。
メイドロボの声は、感情の起伏が平板で穏やかで、
喜怒哀楽の振幅が大きかった妻に比べて、
初めの内は、違和感があったけれど、もう慣れた。
思えば便利さという言葉に踊らされ、大切なものをたくさん手放してきてしまった気がする。
130歳を過ぎて、私の身体のほとんどは、すでにサイボーグだ。
でも、脳が死んでいないため、100歳を過ぎた息子たちは、
もっと生きて欲しいという。
母さんは事故死だったので、その分私に長生きして欲しいのだそうだ。
死にたいとも
死なせてほしいとも
思わないが、
なら何のために生きているのか?
だんだんその問いへの答えが、薄まってきているように感じる。
寿命は延びた。
仕事を辞めてから
100歳くらいまでは、
いろいろな趣味に手を染めた。
趣味こそが俺の生き甲斐とでも言わんばかりだった。
でも、それ以降病院通いが増え、
薬漬けになるにつれ、
趣味に打ち込む元気さがなくなってきた。
1日が1ヶ月が1年があっという間に過ぎてしまい、
気がつけば、もう130歳である。
めでたい、
笑ってしまうくらい
いろいろな意味で、とにかくめでたい。