オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

革命という幻想

かつて「革命」というワクワクする言葉に心を掻き立てられた若者たちがいた。一夜にして社会が変わる!虐げられていた人々が解放されることを夢見て、多くの若者が理想社会を語り、革命を志した。
革命とは、呼べないが大きな社会変革は、日本の歴史の中にも三回見て取ることができる。一回目は貴族社会から武家社会へ。何でもない畑を耕している人々を公家貴族の支配から解放した源頼朝による鎌倉幕府の成立。
二回目はいわゆる明治維新。西郷が突き動かし、大久保がまとめた、この大きな社会変革は、士農工商の図式から人々を解放することに一応成功した。ただ天皇の権威を借り、一般大衆がどれだけ実感していたか?「ええじゃないか」騒ぎに革命の息吹を感じる向きもあるだろう。けれどやはりトップダウンの変革であったことは否めない。
三回目は、戦後のGHQ主導による変革で、このドロドロした状況の中で、これ以上生意気な存在はいないと思われる吉田茂が日本側の主導権を握っていたことを、私は幸運だと思う。戦後の保守政治家は、GHQ主導の社会変革であったことを未だに根に持っており、自作憲法制定向けて力みかえっていらっしゃる様子だ。

さて、貧富の差が拡大し、胸がスーッとするような社会変革の必要性を多くの人が感じている。だが同時に「革命」とやらがほとんど夢物語であることも何となくわかってしまっている。政権を握る政党が交代したくらいでは、何も世の中が変わらないことさえも。
だから政治に多くを期待しない。だから投票に行かない。だから何も変わらない。何か新しいことを始めてくれそうな政治家が出現すると某知事のように過剰な反応を示し、期待してしまう。それもかなり危なっかしい話だ。

せめて、自分が生きている間に、この程度の変革が実現するといいな・・という理想くらいは持っていたい。それはほとんど民主主義社会に生きる大人としての義務言えるかもしれないけれど。