オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

ぼくとパレストリーナ

私は、出身大学を含めてミッションスクールに通った経験がありません。大学に入って、グリークラブで歌い始める羽目?になった時、一番驚いたのが女性がいない!・・・こと。二番目は、どうしてか?ミッションスクールとはおよそ縁がない大学なはずなのに、ミサ曲をレパートリーにしていることでした。入団の時は、たしかビクトリアのミサを歌っていたと思います。どうやら常任指揮者の意向で、毎年ミサを歌っているらしいのです。
困ったのは、これまたどういうわけか?学生指揮者になってしまい、選曲を担当することになった時のことです。さて、何を歌ったらよいものか?その時出会った作曲家がルネッサンスの巨匠パレストリーナでした。パレストリーナの特徴は、不純な音の重なりが極力避けられていて、美しい旋律が糸のように絡み合いながら、どこまでも続いていく音楽。まさしく天上の音楽なのです。長いことカトリック音楽のお手本とされていたことも頷けます。
曲は、ミサ「エテルナ・クリステ・ムネラ」。男声合唱用に編曲された楽譜を、早稲田大学グリークラブよりお借りしました。さて、この名曲を力みがちな学生グリーが歌うとどうなるか?恐る恐る当時の演奏を聴いてみると、やはり元の音楽が素晴らしいことが救いとなり、大きな破綻をきたさずに演奏されていることに驚きます。様式的には?の部分もありますが。

二度目は、自分が呼びかけ人として設立した戸塚混声合唱団。設立後四年目でしたか?パレストリーナのモテット「バビロン川の河辺」「谷川の水・・」を歌っていただいたことがあります。しかし、当団はその頃団員数が急増し、ルネサンスポリフォニーを歌う規模としては、大人数になってしまいました。この時は公開の場で演奏することはなかったと思います。

三度目の出会いは、横浜紅葉丘合唱団に指揮者として招かれた時のことです。名門老舗合唱団で、現在は福田先生指揮のもと活躍されていますが、福田先生の前の指揮者がぼくでした。私が紅葉丘合唱団に関わり始めた当時、当団は非常に少ない人数で活動していました。さて、何を歌ったらいいものか?私の頭に閃いたのは、パレストリーナでした。ポリフォニーの美しさが、少人数だからこそ体験できると思ったのです。紅葉丘合唱団に関わらせていただいた9年間、パレストリーナの「ミサ・ブレヴィス」を歌っていただきました。

四度目は、合唱指揮から遠ざかり、地元の室内合唱団で歌っていた時のこと。パレストリーナのモテットを歌っています。指揮の先生の練習の仕方からルネサンスポリフォニーをつくりあげていく方法を学ばせていただきました。

さて、港南台アカペラシンガーズで歌っていただき今回で五度目となります。パレストリーナのどこまでも美しい音楽との関わりが、私のライフワークのようにさえ感じられます。さて、今回はどんなハーモニーが生まれるでしょうか?