オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

Sound of Music とは?

あまりにも有名なミュージカル「Sound of Music」。日本語に直訳すると「音楽の音」となる。音にはnoiseもtoneあるけれど、そもそも音楽は音によって構成されている表現なのだから、音楽の音とか言っても何だか同義語反復のような気が・・・子どもの頃からずっとしていた。(何と理屈っぽい子!)

集合論的に訳せば、音楽という集合の中に音という要素が含まれているということなのだろうか?では音以外の要素が、音楽にあることになる。ここからは深い。音さえ出ていればそれだけでは音楽ではないのだ。うっかりすると音の出し方や加工の仕方に神経を使い過ぎている。なぜ、その音があるのか?または生まれたのか?まで想いを馳せることをおそろかにしてしまっていないだろうか?身体の反応から生まれたリズムもあれば、いかにも精神活動の産物である旋律やハーモニーもある。しかも、それはまだたかだか人間の能力の範囲内でしかないのだ。
実際ミュージカルの同名テーマソングでは、自然の中から聴こえる響き・音が歌われている。それは我々を取り巻く世界の中の音とも受け取れる。ジュリー・アンドリュース演じる主人公は、美しい大自然の中でこのテーマソングを歌い、ドラマの幕が開ける。全世界の人々に音楽の楽しさ・美しさを伝えたこのミュージカルのオープニングが、自然界の音に感動している歌で始まることは、象徴的な気がする。20世紀の中盤、いわゆるクラシック界はそれまでの伝統的な手法を手放し「革新のための革新」に明け暮れた。その成果が、世紀を跨いで今どこまで人々の心に残っているだろう?クラシックコンサートの主役は、相変わらず18世紀後半から19世紀の作曲家たちで、20世紀の作曲家は、ほとんど登場しない。音楽の創造が、停滞してしまったのは、あまりにも作為に満ちた作曲が横行したせいではなかろうか?深読み過ぎかもしれないが、冒頭で自然への讃歌が歌われるのは、当時の音楽界への警鐘だったのかもしれない。

musicという言葉は、ラテン語のムシケーが語源で、ギリシャ神話の神museから賜った私たちの美的な活動に拡張していく。だから博物館はmuseumなのだ。西洋の神様が出てくると思わず腰が引けるが、音楽は神様から賜ったものというとらえは、音楽に対して常に謙虚に接していくために有効な考えだと思う。所詮人間の手が届く範囲とその先には境界線があって、たまにすごい演奏に接したり、表現できたらそれは神様に感謝するべきなのだ。間違っても、自分たちだけ力ですごいことができたなどと、勘違いしているとその瞬間から堕落が始まっているだろう。
そして同じようなことは、どうやら音楽に限った話ではなさそうである。そこより先は、それこそ別の稿に筆を譲ることにしよう。