オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

頑張れば力が発揮できるのか?

学校や塾に出入りしているせいもあるけれど、とにかく「頑張れ!」という声かけをよく聞く。しかし、頑張ることで人は本当に力が発揮できるのだろうか?

自分を追い込むことで力を発揮する人はいる。だけれど、本当はまだそちらに気持ちが向いているわけではないのに、繁華街の客引きのように半ば誘導的に店に連れていくような「頑張らせ方」がありそうな気がする。
頑張るか?頑張らないか?は、本人が決めることで、周りは促すことしかできないはずなのに、もうそうするしか他にない!かのように決意を迫るのは、それでいいのかな?決意を迫った責任を、10年後、20年後に取れるのか?

もう少し大きな話をすれば、社会全体が一人ひとりが頑張っているからこそ、成り立っていると、信じ込んでいる人が何と多いことか!その中に1〜2%位、あまり頑張っているようには見えない人が混じっていても構わないのではないだろうか?猫も杓子も高度経済成長を目指した時代や「24時間働けますか?」の時代は、とっくに過ぎ去っているのに。

誤解を招きやすいことをたくさん書いてしまった。私だって、自分の仕事や勉強に対して、夢や理想・目標を掲げ、頑張っている人を応援したいし、現に私自身がそれなりに情熱を注いでいることに水を差してほしくはない。でも、身体を壊したり、心を病んだりしてまで、「頑張る」に執着することはないと思うのです。

そして、子どもたちの進路に関しては、頑張った先に何があるのか?もう少し長いスパンで見通す視点を、助言する側も持っていたい。いい高校→いい大学→いい会社という単線型に将来設計は、とうの昔に揺らいでいるし、そもそも「いい」何とかの「いい」の意味がよくわからない。いいが、有名という意味だとしたら、それはそう思い込んだ瞬間に、何かが思考停止していると思う。