オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

文章を読めないのではない、読んだことがないのだ3

元に戻って、教科書の話。苦手感がテキストに向かう姿勢に反映するのが、数学かな?「意味わからないし〜」が積もり積もると、漢字が読めない人が小説を読んでいるような状況に陥り、もう教科書の言葉が、さっぱりわからなくなるスパイラルに入ってしまう。だから塾や個別指導がウケるのだが、このスパイラルに陥って、一年以上経つとそこから救い上げるのは、並大抵ではない。
次に、関係ないし〜感が、色濃いのが社会科。地理にしても歴史にしても、知らなくたって大丈夫だと感じているのだろう。理科でも言えるだろうけれど、元々最低限の知的好奇心を必要としている教科なのかもしれない。脳が知識によって喜び始める経験を積めば、もう少し変わるとは思うけれど。
読めない、わからない、できない、それですごく困るのか?それでも何とかどうにか生きていけるのが、今の世の中である。その社会の仕組みは、ある意味福祉的であり、何も否定することはない。
でも、努力すればできることと、努力してもすぐには無理なこととがあれば。できることに気持ちが向くことで、自分の可能性が見つかることはあるだろう。教科書を読めない生徒の記事からそんなことを考えていた。