2014年の年末に、こんなことを考えていました。
中教審の答申によると、また大学入試の方法を変え、思考力や主体性を問うのだそうだ。学校教育法にどでんと思考力・判断力・表現力を育てると書いてしまった以上、後には引けないのだろうが、そもそも思考力を育むとは、どういうことなのか?世の中の教育関係者の皆様は、何をもって思考力が育ったというのか?
1.きっかけがなければ、脳は動き始めない。
与えられた文章題から進路の選択に至るまで、思考のスタートには、何かしらのきっかけがある。そのうち二律背反する考えが内的あるいは外的に存在し、その渦中で葛藤が引き起こされる時、思考・判断力が育つと信じられてきた気がする。しかし、要はこのきっかけに気持ちが食いついていかなければ、思考はスタートしないので、とりわけ教育の場では、思考に値する問題の提供が期待されるだろう。
2.思考の類型
比較と因果で小学生のうちはよいと教えてくださったのは故恩師岩波先生だが、他にも類推とか分析とか、何を考えているのか?何を考えさせているのか?を類型化することは、可能だと思う。ただ考える力と言って、漠然と放置しているだけでは、何を育てようとしているのか?より具体的な能力の形が見えてこないように思う。
3.成長と思考力
いつ頃までに、どんな力が備わっているとよいか?ある程度具体化しやすいのが幼児期である。危険を察知し回避する判断力、自分の生理的な欲求を周囲に伝える表現力などが具体的な姿として描けそうである。
難しくなり始めるのは、やはり小学生からで、自分のやるべきことを理解し、判断できる力に重きがおかれている低学年から、グループや集団の中で協力し合い、目標に向かって課題を解決できる思考判断力を育てる高学年まで。
さらに中学高校と進めば、社会全体の課題に対して自分なりの意見を表現できる思考力が問われていいと思うのですが。
4.総論としてのテーマと各論の問題
ここで言うテーマとは、地球の未来を担う子どもたちに、何について考える力を育てようとしているのか?という日本で言うならば、学習指導要領であるし、国際的には、国際バカロレアのような世界標準の内容を指す。人権、環境、格差等、様々なテーマが準備され、少なくとも考えた経験があることをその教育課程の中に位置付けたい。
各論は、一単位の授業の中で、学習問題をもとに蓄積していく思考力の話で、子どもたちがきっかけをつかみ、情報を集め、自分なりの考えをもちながら、互いに意見を交換しあう授業のデザインが求められると思う。