1964年10月、当時小学二年生だった私は、朝早くから白黒テレビに見入っていた。とうとう夢の超特急が走ることに胸をワクワクさせながら。平日だったので新横浜駅を高速で通過した所まで見て、学校へ行かなければならなかった。
時速210km!東京〜大阪が4時間!!当時はそれだけで十分衝撃的であり、世界最速の鉄道の誕生を無条件で喜んでいた。「新幹線」は夢ある未来を象徴する言葉だったのだ。
53年余が経った。もう新しくはないのに、まだ新幹線と未練がましく名乗っている。日本高速鉄道とか新たな名前を付けないと、そのうちリニア線ができるのに、そのような動きは一向に伝わってこない。
その新幹線で台車に亀裂が入るという事故が起きた。問題は亀裂もそうだが、それ以上異常が起きているのを知りながら、走らせていたことだろう。新幹線を使っているということは乗客に先を急ぐ理由があるのだろうが、もう一つ新幹線は安全だという安心感に支えられている乗客がいることを忘れてはいけないだろう。
一歩間違えれば大事故につながったことは、誰にでもわかる。
安全が全てに優先する。交通に関わる仕事でなくても大原則ではないか?
そう言えば乗客が車内で焼身自殺し、他の乗客も亡くなられた事件の教訓は、どう生かされているのだろうか?